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「あなたが聴きたい歌の」を残念ながら視聴終了することにした [人生補完計画]

あなたが聴きたい歌の何時間スペシャルという番組は、前回で20回目だった。初回は2008年、だいたい1年に2回くらいのペースで放送してきた。私はそのほとんどすべてを聴いてきた。ただ聴くだけでなく、録画して自分が気に入った曲がどこにあるかを毎回チェックしメモしてきた。なんでそこまでするかといえば、それははるか昔の後悔が理由だ。

私がまだずっと若かった頃、VHSビデオテープに色々なテレビ番組を録画したが、懐かしの歌謡曲番組だけは録画しなかった。当時の私はこう思っていた。「年月が経って懐かしさが薄れ、思い出も薄れた。今さら昔の映像を録画しても、それは形ばかりだ。」それから何年も経ち、私は昔の歌謡曲を懐かしく思う自分に気づいた。小さい頃のような強い気持ちでないにせよ、年をとっても懐かしいものはある。でも懐かしもうとしても、私のVHSビデオテープに懐かしの歌謡曲はない。後悔してからは懐かしの歌謡曲番組が放送されると録画したが、それ以前に放送されたとても多くの番組を私は録りそこねた。

そんな思いでいた時、「あなたが聴きたい歌の」が始まった。「今度こそは」と私は録画した。そういう経緯があるから、私は人よりも情熱を傾けてこのシリーズを録画した。でも、ただ視聴するのと違い、自分が気に入った曲がどこにあるかを毎回チェックしてメモする作業は疲れる。録画を一時停止したり戻したりしながらメモしなければならない。気に入った曲が60曲あったら、その作業を60回やることになる。足腰が悪くなった私にとって、長時間座ってその作業をするのはリスクが大きかった。だんだんと、「昔の歌謡曲への情熱」と「自分の健康状態」を秤にかけて、作業するかどうかを考えなければならなくなった。1回見逃すようなことがあれば、それをきっかけにして健康上の理由から、気に入った曲のチェックとメモをやめようと思い始めた。曲のチェックとメモをやめるということは、私にとって番組そのものの視聴をやめるということだ。

そして今年、痛恨の1回見逃しが生じた。7月の回だ。私は毎日テレビ番組表を見て、この番組を含めて自分の好きな番組はないかと調べているつもりだが、時として見落としがある。それに加えてちょうど7月の放送時、私は新しく手に入れたスマホが前のスマホと違うことに四苦八苦して、そちらにばかり注意が向いていた。さらに言うことを許していただければ、私はまさか5月の放送の次が7月だとは思っていなかった。とにかく、これが私にとってきっかけとなり、懐かしの歌謡曲番組を録画するのをやめることにした。

厳密には、今までに録りためた録画をまだチェックしていないので、いま手元にある録画までをチェックして終わりにしたい。7月の放送を見逃したのに「録りためた録画がある」とはどういうことかというと、この手の懐かしの歌番組をやるのはTBS系列だけではない。TBSがいちばん多いが、他局でもやる。だから私の手元には未整理の録画がたまってしまう。このチェックが終わるまで、新しい「懐かしの歌番組」が放送されないようにと私は願っている。いままで長年やってきた作業だから、気持ちの整理がつく前に次の放送があると、つい録画してしまいそうだ。録画したら、つい気に入った曲をチェックしメモしてしまいそうだ。

ここまで長々と個人的なことを書いてきたので、この記事の最後に少しくらい何か読者様が気に入りそうなものを出して終わりたい。ただし地デジの放送なので動画が出せない。PCで再生してPrintScreenし、画像を切り抜くくらいしかできない。

TBSの上記番組のほかに他局の歌番組もチェックしていると、複数の映像が手に入る。有名曲だと映像の数も多くなる。私の場合、とくに赤いスイートピーは全部で5つの映像が手に入った。松田聖子の衣装は赤いスイートピーだけで4種類見ることができた。もちろん聖子ちゃんファンの方はもっと膨大な量の映像をお持ちのはず。テレビで懐かしの歌番組をチェックするだけの私は、せいぜいこれくらいというわけだ。少し時間がかかったが、5つの映像からPrintScreenして1枚の絵にしてみた。カラフルで綺麗だ。
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疲れの取れる菓子を探す(3) [手記さまざま2]

前に書いたように、週に1、2回のペースでゆっくり試しますが、今回はその1回目です。せっかくだから、今までに食べたことのない商品を試すことにしました。

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外側はチョコレートコーティング、中は柔らかい食感でこれもチョコレート味。食べてどれ位疲れが取れたかと厳密には言えませんが、甘いものを食べた時の回復感はあります。

疲労回復度(まだ他を食べ比べてないので暫定的な値)
★★☆☆
小腹がすいた時に食べるという意味では、これひとつで十分です。仕事疲れを回復してもうひと働きという時には、この倍くらいの量の甘いものがあると効果的でしょう。
今日は念のために小形の羊羮も持ち歩いていたので、試しに羊羮も食べてみたら、羊羮のほうが元気が出ました。(でもこの羊羮は貰い物の虎屋の羊羮で高いから、日常的に買って食べるわけに行きません。)


疲労回復度は、今まで私が食べていた某菓子(美味しいけど疲労は回復しない)を★☆☆☆とし、確かな効果があると感じる菓子を★★★★として判断する予定です。棒状の菓子は1個を食し、箱の中に複数の個包装品が入っている菓子は個包装1個を食します。でも私の予想では、実験の後のほうでは、個包装2個を食べてようやく確かな回復効果を感じるという事がありそうな気がします。その時は、何個食べたかを明記します。

人によっては懐かしいDVDレンズクリーナー [手記さまざま2]

私の古いDVDレコーダーがとうとうイカれたようだ。今年の始めにBDレコーダーを買う羽目になったのが、この古いDVDレコーダーがディスクをシークする時に変な音を立て始めたからだった。その後もまあまあ使えていたが、今日DVD-RWを入れたら読み込みを繰り返して終わらない。それでDVDレンズクリーナーを1度試し、さらに電源ボタンを20秒長押ししてみたが、どちらも効果がなかった。現在は、試しに電源プラグを引っこ抜いている。

このDVDレコーダーは内蔵HDDに私の家のVHSビデオテープを大量に録画してはDVD-RWに書き出し続けたから、DVDドライブ部分は摩耗劣化して当然だ。HDD部は健在なので、今後は「DVD-Rに保存しないような録画専用」で地デジの録画予約に使おうと思う。

それと、現在内蔵HDDにある録画はひょっとするとBDレコーダーへ移せるかもしれないので、マニュアルを読んでみようと思う。

今日は、久しぶりに使ったDVDレンズクリーナーの画像と動画を出したい。この湿式クリーナーはクリーニング液があまり残っていないので、そのうちに処分となるだろう。私にとっては初代DVDレコーダーの時からお世話になった物で、ほんのちょっとだけど思い出もある。だから処分する前に写真を撮り、クリーニング中に映る映像を保存しておいた。
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いままでと同じく、画像は基本的にずっと残るけれども、動画はブログの動画・音声用領域が一杯になってきたら削除する予定。




追伸
翌日、古いDVDレコーダーのディスク読み込みが復活した。まさか電源プラグ引っこ抜き数時間放置で直るとは思わなかった。でも上記の通りに酷使した機械だから、いつ壊れてもいいという気持ちで使おうと思う。DVD-R保存の予定がある録画は入れないようにしよう。

人生補完計画、おわりのはじまり [人生補完計画]

私が「自宅地図」と称して自分の家にある自分のものを全部チェックしてPCに記録しはじめたのが2013年。それと同時に天袋に上げてある書籍から記憶にあるページをデジカメ撮影した。その頃は、「天袋から物を降ろさなくてもほんの少し参照したい程度ならばPCで済ませられるように」という意図で作業していた。

その後、親から今の家を出たいと言われて私は恐れおののいた。なぜ恐れおののくかといえば、引っ越すとすれば家の間取りは今の江戸間ではなく団地サイズ、いま持っている物をすべて持って行くことはできない。多くの物を捨てて行かなければならないからだ。だから私は「可能な限りの情報をPCに収めて、一緒に持って行けるように」と考えた。まずはカセットテープ音声のPC保存から始めた。ところがカセットの外見や音声を保存すればするほど、思い出はそういうデジタルデータの中にあるのではないとわかってきた。カセットケースからカチャカチャと音をたてながらテープを取り出し、ラジカセなどのカセットホルダーに入れる。そういう感触がつまり昔の思い出だ。それがわかると、最初は捨てるためにPC保存していたカセットテープそのものが捨てられなくなった。

しかし時の流れは人を妥協させる。昔の雑誌のPC保存では、実物の紙を見ればデジタルデータにできない紙の質感を思い出すが、しばらくするとそれを忘れ、デジタル化した画像で満足するようになる。

でも厚みのある書籍のスキャン作業は雑誌と違い、本が痛まない程度に開いてスキャンするので綴じ代の近くが非常に歪み、ぼやける。元の本を取っておいて日常的な参照にデジタル化したものを使うには問題ない結果となったが、元の本を捨ててこの家を去るとなると、本を壊してでも綴じ代を完全に開いてスキャンするべきだったかと後悔した。

レコード音声のデジタル化では、音声そのものの保存は自分にできる範囲で最高の結果になったはずだ。しかしレコード自体がカビだらけで、自分の思い出の品がこんなに悪い状態になっていたかと残念な思いだ。もうひとつ残念なことがある。レコードジャケットをデジカメ撮影したが、音声のデジタル化だけで大変な作業だったので、ジャケットのデジカメ撮影はレコードが回っている時間を使って行うしかなかった。レコードを夜再生すれば蛍光灯の光の下で、昼でもカーテンを閉めて作業していればカーテン越しに色のついた光の下で撮影しなければならなかった。つまりこの撮影は当時の私にとって一時的なもので、音声のデジタル化が終わった後でいつの日かゆっくりとジャケットを本格的に撮影するつもりだった。

ところが時が流れ、私は当初の考えをすっかり忘れていた。いつしか私は書籍も、カセットテープも、レコードも、デジタルデータとして保存できたと勘違いしていた。ある日私は、天袋の書籍のおもなページをちゃんとデジカメ撮影してあるか再確認しておこうと思った。そして愕然とした。私はおもなページを撮ったのではなく、一冊につきほんの数ページを撮っただけだった。そういえば、天袋の物を全部降ろして整理するという大変な時にデジカメ撮影したのだった。パラパラとページをめくって思い出のあるページを見つけて撮る以外に、何ができようか。私は、この家を出てゆくことになった時、天袋の書籍の多くを持って行かなければならないと決心した。とてもデジタル化はできない。

デジタル化ができない一番の理由は、私の健康状態だ。上記のさまざまな作業が私の健康を害した。書籍をスキャナやデジカメでデジタル化する作業を始めてから数年の間に、私の足腰は実感できるほど悪くなった。大量の物を作業するには、時を選んではいられない。寒い真冬でも、冷気が這う自室の床に座ってスキャナを動かし続けなければならなかった。足がしびれても、つっても、痛くても、やめるわけに行かなかった。そうしたら、数年後にはまともに動けない足腰になっていた。思い返せば、天袋から全部の物を降ろして整理した2013年には、私はまだその上げ下ろしができる足腰だった。今では、PCの前に座る時間も床に正座して座る時間も自分で管理して短くしないと、足腰が悪くなる。私はもう、同じ作業を繰り返せない。

最近このブログに書いたが、長年使ってきたデジカメがいつの頃からか色合いに不満を感じるようになった。たしか、レコードジャケットを撮影した頃から色合いの問題を感じた。レコードレーベルを撮影すると、実物よりも明るい色になった。それが嫌だった。それを思い出し、私はデジカメ撮影したレコードレーベルを再確認した。そして愕然とした。私はレコードジャケットやレーベルをきちんとデジカメ撮影したと思い込んでいた。ところが実際には、上に書いたように一時的な撮影で、カーテンの緑色が映り込んでいる画像も多数あり、保存用のデジタル化ではなかった。

一方では書籍の膨大な量の未撮影ページや撮り直しが必要なレコードジャケット。他方では深刻な状態にまで悪化した私の足腰。そして今年もついに来る、足腰をこわばらせ悪化させる寒い冬。私は、少なくとも今は、もう何もできないと感じた。

私が今までやってきたことは、意味があるのか。書籍もレコードも、この家と共に捨てて去るにはデジタル化保存が中途半端すぎる。他人が仕事や家庭に頑張る時間さえも費やし、健康を損ねてまでやってきた作業は、意味があったと言えるのだろうか。

いやしかし、対象の価値は個人が決めるしかない。たとえばある人にとって、我が子が何よりも大切だとする。ところが他人にとっては、それはただの子だ。対象の価値は個人が決める。他人や世の中は関係ない。もしも他人や世の中を意識しはじめたら、自分の中での大切さの基準が狂ってゆく。人間とはそういうものなのだ。

撮影をデジカメからスマホへ(2) [手記さまざま2]

上記の題で記事を書いてからずっと私が思っていたことは、デジカメとスマホで同じ被写体を同じ条件で撮り、比べる必要があるということだ。でも日常生活の中でそんな面倒なことをする気が起きずに今まで来てしまった。だって、撮影の必要がある時はどちらか片方で撮れば用が済むんだから。わざわざ両方持ち歩いて両方で撮るなんて。

今日、やっとその気になった。子供の頃から大学生くらいまで使っていた国語辞典を処分する気になったので、処分の前に記念撮影をしておこうと考えた。

下の画像が今年買ったばかりのシャープのスマホでの撮影だ。
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下の画像が長年使い古して性能の落ちたキャノンのデジカメでの撮影だ。
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うーん、と私は悩んだ。なんというか、どちらも悪い。
たまたまPCの画像編集ソフトの中に、以前にキャノンの写真を修整した時の設定値らしきものが残っているのを発見した。その値でキャノンのほうを修正してみた。
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これが一番もとの色に近いなあ。
うーん・・・。
もっといい写真が撮りたかったら、新しいデジカメを買えという事なんだろうなあ。

悩みながら、実験結果の紹介という形で今回の記事は終わる。

疲れの取れる菓子を探す(2) [手記さまざま2]

今回は、パッケージが箱型をしているタイプの菓子。

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昔からある有名な食品。私は、疲れのあまりに低下した視力が、これを食べてしばらくしたら改善した経験がある。

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今回はもう一種類見つけた。
今の所、前回・今回の記事で菓子を列挙している段階だが、これから食べるたびに味や体調改善をメモしてゆければ良いと思っている。前回の記事に書いた通り、一週間に1個か2個食べることになるので、結果が出るのはずっと先で、記事としてまとまった形にできるかどうかはまだわからない。獲らぬ狸の皮算用はしないでおこう。

疲れの取れる菓子を探す [手記さまざま2]

前回に引き続き、疲れの取れる菓子を探す記事。今回の記事では、前の記事で紹介した品も含めて、バー型の菓子をさらに確認してゆく。それをすると共にスマホでの撮影に慣れる事もまた、私の目的だ。

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まずは前回紹介した菓子から。この菓子は前回書いた通り、味と食べごたえの点ですでに高評価だ。
上から3番目は、うっかり別の種類を混ぜて撮影してしまった。

前回の記事で確認した中身の短い品は、どうやら「タルト」と名の付くものだ。前回は「抹茶タルト」だった。今回は「チーズタルト」だ。今回買ってきた分も、試しに端をつまんでみよう。

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ふむ。

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ふむ。

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ほらね。

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これは別の種類の商品。種類によって特徴が違うはずだ。美味しいけど疲れは取れないとか、美味しいけど量が少なめとか、各種栄養素は入っているけど元気が湧いてこないとか。そういう特徴を把握して、疲れた後のもう一仕事という時に適した菓子を見つけ出したい。

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別の種類には、こういうのもある。

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そして、こういうのもある。比較しなければ。
ただ、私が出先で疲れ果てるのは週に1回か2回なので、これらの菓子を少しずつしか試せない。結論が出るのは何週間・何か月も先のことになってしまう。

実は比較する菓子が他にもある。カロリーメイトのような、パッケージが箱型をしているタイプの菓子だ。それはまた今度写真を出そう。

撮影をデジカメからスマホへ [手記さまざま2]

長年使ってきたCanonのデジカメが、まだ壊れてはいないんだが性能が落ちた。たぶん3万枚くらい撮ったので当たり前だ。実は性能が落ちたのは今ではなく何年も前だった。性能低下のひとつめは、レンズとレンズの間に入ったゴミが邪魔して、逆光に近い状態では光の粒が映り込むようになった。でもこれはまだ、光を背にしたり半日陰で撮ったりと撮影者の側が工夫すればいいと思っていた。でも性能低下の2つめは私個人には厳しい。それは、撮った色が実際の色と違うようになった。必ず実際よりも明るい色になる。たぶんカメラに詳しい人は、カメラは被写体の色を厳密に再現しないので補正が必要だと言うだろう。でもそれには程度の問題があると思うんだ。最近ブログにUPした写真のうちスマホでなくデジカメで撮った写真は、私が苦労して色補正したものだ。でも想像してほしい。たとえば旅行に行って100枚の写真を撮りまくったとして、それを全部自分で補正する手間をかけられるだろうか。しかも旅行先は自宅での撮影と違い、帰宅後にはもう被写体の本当の色が確認・比較できない。だからカメラは、プロレベルの厳密さは求めないながらも素人目には被写体と同じくらいの色が再現できなければ性能的に難があると思うんだ。私のCanonのデジカメも、買った当時はちゃんと色が再現できていた。それがある時期から駄目になってしまった。撮影前に液晶を覗く時はちゃんとした色だが、シャッターを押した後の確認画面は必ず色が変。

それでも私はこのデジカメを愛用してきたから、壊れないうちは使ってやろうと思ってここ数年やってきた。でも、大事な写真を残すのに色が違うのでは悲しい。残念だが、今後は写真をスマホで撮ろうと決心した。

スマホはデジカメに比べると写真が撮りにくい。シャッターを押すのでなくタップして撮るから。だから私はコツを掴むために繰り返し使わなければいけない。今回はその1回目。でもただの練習撮影じゃないよ。ちゃんと中身のある記事(ご報告する内容のある記事)だ。

私は時々電車に乗って遠出をしなければならない。出先で小腹が減ると、元気を出すために何かを口に入れる。今までは、とある菓子を食べていた。(それについては昔記事で紹介したことがある。ただし写真はモザイク付きだった。)その菓子は、美味しい菓子だが、疲れてヘトヘトになった時に元気が出るとか疲労で目がかすむ時に視力が回復するというタイプの菓子ではなかった。だから私は別の菓子に変えた。今回はモザイク付けない。この菓子だ。
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これは美味しい。さらに、食べごたえがある。そして、元気が出る。今後はこの菓子を愛用するつもりだ。

ただ、私はあることに気づいた。下の写真を見てほしい。

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ふむ。

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ふむ。

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ふむ。

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あれっ??
外袋は他と同じ長さなのに、中身が・・・短いらしい。

妖怪人間ベムのピー [手記さまざま2]

初回を見損ねて第2話から妖怪人間ベム50th再放送を見始めた。聞きしに勝るピーぶりだった。

冒頭に次のテロップが出る。
「本作品は、1968年~TVシリーズとして放送されたオリジナリティを尊重し
極力もとの表現を維持した状態で放送しておりますが
今日では表現として好ましくない用語を使用している部分には修正を加えております。」
上の日本語が何だか分かりにくいと思う人がいたら、それは正解だと思う。「極力もとの表現を維持」と「好ましくない用語を使用している部分には修正」は、いわば反対語みたいなもの。それを同時に使って玉虫色の文章を作り上げているから妙な分かりにくさを感じるんだ。
分かりやすい日本語に翻訳すると、
「悪気はないんだよ、でもピーが入るから許してね。」
となる。

で、そのピーがすごい。
殺し屋「そうですよ、そうすりゃあんたがピーじめでやったんじゃねえっていう証拠にもなる。」
殺し屋「ピーじめのおっ母さんが俺たちのスポンサーか。」
ベム「恐怖に打ちのめしてピーじめの根性を消してしまうのだ。」
ピーが多ければ多いほど、気になってしょうがない。一体なんて言っているんだ。
わざわざピー音を入れなくても、その部分だけ一瞬無音にするという方法もある。実際、昔の怪獣映画のVHSビデオにそういうのがあった。その方が気にならない。ところが50th再放送ではピー、ピー、ピー。(実際にはピーというよりもポーという感じの音だが。)
私には、この50th再放送は放送忌避用語を逆手に取ってピーをネット上で話題にさせようという魂胆ではないかとさえ思えてきた。

ところで、第2話のピーの正体だが、上の3つにベラのセリフを加えると何となくわかってくる。
「あの意地悪なピーははを?」
上の3つの「ピーじめ」がもしも「ピーいじめ」だとすれば、問題解決だ。ああ、これでやっと安心して眠れる。
こうなるともう、ピーがまるで判じ物のように思えてきた。



追伸
今回の放送忌避の言葉は良い言葉でないし、進んで使いたくはない言葉だが、放送禁止用語だったのか。でも、いま寝る前に自分のVHSビデオ録画から探し出した昔のスカパー再放送ではピーが入っていなかったぞ。(ピーの正体は上の推測が当たっていた。)私のVHSビデオ録画は気に入った所しか残していないから、残念ながら今後のピーの多くはわからないだろう。
あと、50th再放送に続けて放送される「俺たちゃ妖怪人間」はブッ飛んだ面白さだ。妖怪人間も進化したんだなと嬉しくなった。ベム・ベラ・ベロよ、おまえ達は結局人間になれなかったが、人間はみんなお前たちが大好きだ。

正午から3時まで [  カセットテープ(補完計画)]

私は少し前までVHSビデオテープ録画のPC保存をやり直していた。そして気づいた。私はずっと、自分の沢山の録画は貴重だと思い込んでいたが、そうではなかった。録画のノイズを苦労して時間をかけて可能な限り取り除いても、巷にDVDビデオが出回れば私の録画など足元にも及ばない。デジタルリマスター版となれば、なおさらだ。同じことが、カセットテープ録音にも言える。

インターネットで色々見ていて知ったところでは、先日スカパーで「正午から3時まで」の吹替版をやった。「正午から3時まで」は、すでに出ているDVDにも吹替音声が入っている。で、私は1981年初回放送時のテレビ放送の音声をもっている。なぜ1981年とわかるかというと、映画の解説の中で去年スティーブ・マックイーンが死んだと言っているからだ。でも私はその音声を貴重だと思わなかった。私は自分のカセットテープ音声をデジタル化したさいに、特記すべきことがあればメモしておいた。上記のスティーブ・マックイーン云々もそのメモだ。そして同じメモに、録音状態がひどいと記されている。これを読んだ時点で私は「相当ひどいんだ」と覚悟した。そして聞いてみた。ひどかった。だから今まで私はこの音声をブログに出さなかったんだ。あんまりひどいから。

最近はブログ記事に出せるようなカセットテープやビデオテープのネタも尽きたし、そもそも「まともな質のものだけを出そう」と考えたら、出せるものが何もない。記事を書こうと思った時に引っ込み思案にならずに記事を出すという行為は、人生を前向きにするには必要だ。

今回の記事の意図は、初回テレビ放送時にどんな解説があったのかを伝えることだ。解説から始まって、冒頭の例の音楽の途中までがmp3になっている。再度書いておくが、録音はまともな状態でないので期待してはいけない。

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