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死ぬ1日前にやっと好きな事が出来てもいいと知れ [ここは地獄の3丁目]

最近、考えを改めた事がある。思えばずっと、親は今の家の事で建設的な意見を言っていた。畳が擦れてきたのでその上にうすべり(ござ)を敷いていたが、それも擦れたので買い換えないかと言ったのは親だった。風呂場のすのこが古くなり腐ってきて、換えようと言い出すのも親だった。ほんの1年くらい前まで、親はいつも今の家の改善を口に出し、それを面倒に思い従ったり従わなかったりするのが私だった。ここ1年ほどの間は、親は今の家を去る事ばかり考えているので、家の改善を言わなくなった。
私は夜布団の中で、家の天井を眺めて考えを巡らした。私はこの家を愛していると言いつつ、今までなんと無関心だった事だろう。家の改善を思っていたのは私ではなく、この家を出たいと言っている親のほうではないか。新しい住居の話が本格化しつつある今、逃げることは私にとって不毛な行為だ。かといって新しい住居への転居ばかり考えるのは私の意思に反する。では、こういうのはどうだろう。新しい住居への転居は積極的に考えるが、同時に今の家も積極的に改善する。
ここにひとつ考えるべき事がある。今の家から出て行かなければならないのがいつか、それがわからない。1年後か10年後かわからない。特殊な事情があり、家を出て行かなければならないのは他人が死んだ時か、入院してもう長くないと診断された時だ。この家はいわば集合住宅の形になっており、そこには「早くこの家を売って他に新居を建てたい」という世帯と、「この家にずっと住んでいたい」という世帯がある。この家に住む以外道がないという人が生きている限り、早く売りたい派は強く出る事ができないが、その人が死んだ時点で、力関係の均衡が崩れる。それがいつなのか、1年後か10年後か、神のみぞ知る。今まで私は、1年後の可能性もあるので出来なかった事がある。たとえば子供の頃に買ってもらったテクニクスのスピーカーの修理。新しい住居は間違いなく団地だから、大きなスピーカーで音を出す事はできない。修理してすぐに家を出る事になったらと思うと、手をつけられなかった。でもそれでは、大事な人生を無駄にしている。それは生き方が間違っている。たとえば、死ぬ1日前にやっと好きな事に着手できた人がいたとする。好きな事を始めてすぐに死んだ、それは無意味だったのか?違う。明日死ぬか、10年後に死ぬか、誰ひとり知らない。健康な人だって明日事故で死ぬかもしれない。万人がそういう中で人生を送っている。だからいつ死ぬかは問題でない。最後に好きな事ができたなら、その最後まで前向きだった人生は無意味ではない。先を心配して何もしない人、それが無意味というものだ。それと同じく、スピーカーを修理した翌日に家を出る事になっても満足だと考えよ。とはいえ今は家を愛し、改善するのが先なので、スピーカーは後回しだ。1年後にここを出る事になっても構わないから、畳に新しいうすべりを敷き、風呂場のすのこを買い換える。それが前向きの有意義な人生というものだ。
すでにネットですのことうすべりを注文済みだ。すのこは2月に入ってすぐ、うすべりは2月半ばに届くという。うすべりのい草は中国製に違いないから、ダニアースも注文した。まず届くのはすのこだから、届いたら私は古い腐ったすのこをノコギリで小さく切って燃えるごみにする。
それと並行して新しい住居の事も考えている。今までに2回住居内覧をしたが、どちらも同じ団地群の中の住居で、住居の造りも部屋の大きさ(いわゆる団地サイズ)も同じような特徴があった。欠点も共通していた。そこで私は思った。そこが今住んでいる場所に近くて第一候補だからといって、そこばかりを内覧していたら井の中の蛙だ。住居替えは大金が動くから1回しか出来ず、やり直しは出来ない。住居の良い所も悪い所も知った上で、納得して転居したい。そのためには他との比較が必要だ。今住んでいる所から少し遠いが、別の団地がある。そこは部屋の大きさがいわゆる団地サイズではないという情報を得た。次の内覧はそこだ。
こうして私自身は以前よりも前向きになったが、それでも親と話すたびに険悪になる。何故なのか。互いに相手の意見はもうわかっているはずだが、何か口から言葉を出せば、それは自分の立場からの言葉になる。私が上記の事、新しい住居についても今の住居についても前向きに行動したいと思っている事を親に言うと、親はそれを聞いた直後に、自分はもうこの家に金をかけたくないと言う。そう言われたら、私としては、私は親に金を出させるつもりで話をしたのでなく、自分がこの家を愛するために何かする気になったと報告したいだけだと言う。ふと気づくと互いに「自分は」「自分は」という話し方しかしない。意見の違う者同士が口を開くたびに「自分は」「自分は」と言っているのでは、話をしても何も生まれない。不要に嫌な思いをするだけだ。親とは何も話さない方がいいと感じる。