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消費電力 [ここは地獄の3丁目]

家じゅうの電気製品の消費電力を調べた。事の起こりは電力会社との契約を見直して電気料金を安くする目的だが、その他にも、転居するさいに何を新居へ移し何を捨てて行くかの目安になる。東日本大震災よりも前(つまり計画停電よりも前)に買った魚グリル器は消費電力が大きく不経済きわまりない。おまけに長年使って汚くなったし、団地の換気状態に合うかどうかもわからない。(煙は出ない仕様だが焼き始めの生臭さはしっかり臭う。隣から苦情が来てはたまらん。)転居時には捨てて行く。あるいは、私の部屋のエアコンは古い。電気機器はある時期からやたらとエコが言われるようになった。メーカーは苦労して新機種を開発し、消費電力はずいぶん抑えられた。そうなる前に私が買った電気機器は、今時の機器と比べて異様に消費電力が高い。私の部屋の古くて消費電力の高いエアコンは、もう買い換え時かもしれない。転居時には置いて行き、転居先で消費電力の低いのを買って取り付ける。こうして、電気機器の消費電力調査は転居にも役立つ。

今回の記事は、始めから順序よくという書き方でなく、あえて最初に読者の参考になりそうな情報を挙げた。でも私自身が書きたいことはまだ終わっていない。個々の電気機器について、個人的だけど具体的なことを書かなければ。そうすることで初めて見えてくる部分もある。

消費電力が1000ワットを越える電気機器は何か。一番物凄かったのが魚焼き器。1300ワット。私が新居へ持って行かないと言うのがわかるだろう。次は炊飯器1200ワット。これは凄いなあ。魚はガスのグリルで焼くことが多く魚焼き器はたまにしか使わないが、炊飯器は定期的に使うからなあ。ドライヤー、最大1200ワット。でも最大(ターボ)で使うことはない。掃除機、最大1150ワット。でも最大吸引力でかけることはない。その意味ではむしろ、1000ワットに満たないがよく使う機器の方が心配だ。私の部屋のエアコン、790ワット。これには比較できる機器がある。ずっと後で買った親のエアコン、460ワット。私が自分のエアコンを転居時に買い換えると言う気持ちがわかるだろう。冷蔵庫は電動機98ワット+電熱装置135ワット。これが四六時中稼働しているのか。トースター860ワット、電子レンジ700ワット、スムージーを作るミキサー500ワット。これらは、時々使うだけだからまあいい。洗濯機はうちは二槽式だから、この記事を読んでくれる方の参考にならないと思うので省略。テレビは、親と私と同じくらいの型だが、何年も前に買った親のは154ワット、私のは買ったばかりで63ワット。やっぱり、後から買った機器の方が消費電力を抑えている。そのことはレコーダーでもわかる。私の古いDVDレコーダーは40ワット。新しいBDレコーダーは16ワット。扇風機についても書きたい。親の扇風機はDCモーターで、買う時は高かったが消費電力は16ワット。私のサーキュレーターは交流モーターで38ワット。なるほどDCは省電力というわけか。最後に、個人的な事情でパソコンについて書かせてほしい。necのタワー型、Windows8.1時代の機種、ディスプレイ別で標準92ワット。最大時はもっと電気を食うらしい。私はパソコン大好き人間で、パソコンが稼働しているだけで元気が出るんだが、この消費電力では無駄に点けっぱなしにはできない。

精神がおかしくなるというのは、きっとこういう事だ [ここは地獄の3丁目]

前回の記事をUPしたのは6月4日だが、本当に書いたのはもっとずっと前だ。だから時間に沿って読むならば、まず前回6月4日の記事があり、その数日後に5月24日の記事となる。5月24日の記事とは何だったかというと、内覧に行ってから私の精神状態がおかしくなったという話だ。私は、変になった自分の心を何とかするために、心を趣味にぶつけ続けた。

そして今回の記事になる。私の心はさらに悪くなり、親に出会うと不幸が襲ってくると予感するようになり、自室に閉じこもった。もちろん外出しなければならない時もある。すると外出時に親が私に、駅前のスーパーへ行く用事はないかと聞いた。そういう用事はなく外出時間が迫っていたので私はすぐに家を出たが、後から不安が襲ってきた。親はまた良からぬ事を考え始めた。今度は駅方面の物件に私を誘うつもりだ。そうとしか思えない。もう私は親と一緒の場所で生きるのは不可能だと思った。それから数時間が経ち、親からまたメールが来た。駅前のスーパーでジョロを買ってきたと書いてあった。親が私に聞いたスーパーへ行く用事というのは、物件ではなくジョロだった。でも私はジョロとは気づけなかった。「親が何か言う」イコール「不幸の再来」と信じ込んだ。つまり私の心はもう病気になっているのだ。

今日、とんでもない事がわかった。6月4日の記事に書いた事、つまり、夏の終わりまでは物件内覧はできない。そのかわりに秋になったら私から進んで動くという事を、親には言ってあった。ところが業者から電話が来て話す親の言葉は、それとは全然違う。私が前回内覧の物件は部屋が足りないから拒んでいると言うのだ。私はそんな不満で物件を拒んだ覚えがないし、こんな拒み方ではまたすぐに業者から次の物件の連絡が来るではないか。そうしたら私の心の病気がまたひどくなるではないか。これはもう私が業者に直接言わなければと思い、電話を代わってくれと親に言ったが、時すでに遅く親は電話を切ってしまった。それから親と、またもや話し合った。親は私が、部屋が足りないと言ったと主張する。親と物件の話をした時、私はそんな事をひょっとしたら言ったのかもしれないが、それはいろんな事を話し合う中の流れの一部にすぎなかった。つまり私にとってどうでもいい。私にとって大事なのは、夏の終わりまで待ってくれという事だ。親はそっちのほうはスルーしてしまったようだ。だから私は再度、夏の終わりまで待ってくれと親に伝えた。すると親は、手付金を払っておけば今すぐ引っ越す必要はないのだからと、またもや事を前倒しにする事しか考えない。前倒し前倒しの現実が私の心を病気にさせる事を理解しない。私は再再度、夏の終わりまで待ってくれと伝えた。親は、今まで何度も繰り返し私に伝えてきた自分の事情を話した。そして、別に内覧を5回する前に決めてもいいんだよと言い、手付金を払っておけば今すぐ引っ越す必要はないのだからと繰り返した。私はびっくりした。私は再再再度、夏の終わりまで待ってくれと言った。つまり親に何度「夏の終わりまで待ってくれ」と伝えても。それは親の耳をスルーするだけだ。もしも私の側に心の余裕があれば、親の心を察して譲歩すべき所だ。しかし私は親の今までの前倒し前倒しで心が病み、秋までに身辺整理をするというのがギリギリの譲歩なのだ。これだって私は自分の首を絞める思いだ。これより一歩たりとも譲れない。

今年の秋には何かが起きる [ここは地獄の3丁目]

住宅内覧に行ってきた。相変わらず親のほうが行動しているが、私も私なりに考え、悩み、動いている。

今回は業者に電話した時の話の都合で、急遽2つの住居を内覧させてもらう事になった。これで都合4つの住居を内覧する事になる。

1回目と2回目の住居は、賃貸と分譲の違いはあっても同じ団地の同じ設計者によると思われる間取りの住居だった。特徴が同じで、以前の記事に書いたように私はその特徴が性に合わず、別の団地の住居を内覧したいと思っていた。

今回は、前回までとは別の団地だ。話がしやすいように、1回目と2回目を団地A、今回の2つを団地Bおよび団地Cと呼ぶ事にする。団地Aは駅からいちばん近いが、最寄りのスーパーマーケットはどの方角へ向かっても少し歩く。そう、私は車がない。しかも団地は窪地に建っているので、どの方角へ向かっても上り坂だ。それにもかかわらず、親は最寄りスーパーの数の多さなどを理由にここを第1候補と言う。私は間取りに不満があり却下だ。

団地Bは、駅からはちょいと遠いがバスがある。駅まで歩くのは、やめておきたい距離だ。すぐ近くにスーパーマーケットが1つあるが、ちょっと小ぶりの建物で、それ1つしかない。親はそれを不満に言う。団地Cは、駅からはさらに遠いがバスがある。住居からバス停までちょっと歩く。問題は、近くにスーパーマーケットがない事だ。歩いて歩けなくはない距離にひとつあるが近くとは言いたくない。

私はこの歳まで恵まれた場所にいたらしく、自家用車を持たなくてもやってこられたが、転居の話が出るととたんに事情が変わる。こういう事情は仕事にも言える。私は自家用車を持たないだけでなく足腰が悪くても勤まる仕事に就いていたが、リストラ・転職の話が出るととたんに事情が変わる。

さて、団地Bの住居内覧だ。この住居はもちろん住人が転居するさいに全て綺麗にして行ったが、後で話に出す団地Cの住居のようにリフォーム業者が自社宣伝目的でモデルルーム並みのリフォームをしたわけではない。築何十年か、相当古い団地のキッチンはシステムキッチンでなく、流し台の横にガスレンジが置かれる台があって、使い古したガスレンジは取り去られている。換気扇もいわゆる紐を引っ張るやつが壁に付いている。ただし、私が言いたいのはここまでの事ではなく、この次に書く事だ。古い住居を綺麗に片づけただけなのに、この住居は私の心を打った。この住居を使ってきた人が住居を大事にしていた事が、見てわかるからだ。前述の換気扇はチープな商品だが、その紐には油汚れが付かないようにとアルミホイルが付けてある。ダイニングキッチンの、鴨居の高さの場所には扇風機が取り付けてあり、それに張り紙がある。「とても便利です 良かったら使って下さい」と書いてある。私はこれまで団地Aで2つの住居を内覧した。どちらも住人が転居のさいに綺麗にして行ったが、人が去って行った後のもぬけの殻という印象しかなかった。その住居を使っていた人が住居を大事に使っていたという痕跡は、何も残っていなかった。団地Aのある住居では、襖を閉めたら間に隙間ができた。それとまったく対照的に、団地Bのこの住居では、私が襖を開け閉めしたらその建付けのすばらしいこと、鴨居と襖の間はぴっちりと隙間なく、それでいて窮屈で動きにくい事はなく、スーッと襖は動く。その感触が、今までの2回の内覧とはまるで違った。ここに住んでいた人は、住居を大事にしていたのだ。

個人的な事だが、これは個人のメモも兼ねているので書かせてほしい。私が団地Aの住居の間取りを気に入らない理由は、私の親が臭いや蒸気には無頓着で、カビの栄養になりそうな煮物の蒸気が家じゅうに充満しても何とも思わないので、開放感のある、キッチンと他の部屋との間がルーズに仕切られている住居では私が生きて行けないという事情だ。団地Bの住居を最初に見た時、ひとつを除いて部屋と部屋との接合部が襖なのを気にしたが、いざその襖のしっかりした建付けを知ると、これで文句を言ったら私が馬鹿だとわかった。私にとってこの住居はすごく良いもので、それが後に私を苦しめる事になる。

次に、団地Cの住居内覧だ。ここも築年数は相当なもので、住んでいる人が普通に綺麗にして出て行ったならば団地Bや団地Aと同じだ。ところがここは、上に書いたように、リフォーム業者が自社宣伝目的でモデルルーム並みのリフォームをしていた。住居に一歩足を踏み入れると、白を基調にしたすばらしいリッチな印象の空間に目を奪われる。キッチンはもちろんシステムキッチンで、ガスレンジも換気扇もご想像のとおりだ。湯沸かし器が剥き出しで存在するなんて事はもちろんなく、すべての配管は壁や床の中を通る。フローリングの床は部屋と部屋の間も続いていて、部屋を仕切る引き戸は全部吊り戸になっている。(でも、煮物の蒸気のことで親と完全に考えの違う私は、たとえ古臭くてもしっかりした建付けの引き戸をもつ団地Bの住居がすごくいい!と感じた。)

私たちを案内してくれた業者が話してくれた。こういうリフォームをした住居はそうでない住居よりももちろん相当高いが、もしも同様の住居を買ってそれから同様のリフォームをすると、さらに高くつく。だから、リフォームをした住居を買うほうが得だ。

このあと私たちは家路についたが、私は心穏やかではなかった。数か月前、親は私に言った。人から聞いた話では、住居を決めるまでにみんな5つ位の内覧をするそうだ。だから私は思った。いずれ生まれ育ったこの家を去らなければならないとしても、それは今ではない。5回の内覧をする間には数か月が過ぎるだろう。その間に私は自分の心を決め、ここを出て行けるようになれば良い。ところが、今回の内覧でまだ4件目だというのに、親の口から出る言葉のニュアンスがここを買う!ここを買う!という風に聞こえた。私の言いたい事はまだある。私は少しずつ自分の心を転居に合わせてゆくつもりだった。今回は本当は3回目の内覧なのだ。転居はまだまだ先のはずだった。それが電話の都合で2件の内覧が決まったから、4回目になって私は動揺した。それでも5回目がまだだから転居は先のはずだった。それなのに転居があれよあれよという間に決まろうとしている。私が慌てるのも無理ないじゃないか。

私は風呂に入りながら考えた。もしも団地Bの住居が私の気に入らなかったら、私は親に対して「ここは無理だ」と言えばよかった。でも私は団地Bの住居が気に入ってしまった。私が気に入っただけでなく、親は老体でさらに腰を病み、階段を登らない1階を希望しており、1階の住居はなかなか売りに出されない。だから私自身が今回の団地Bをすごいチャンスだと思っている。だから私は親のここを買う!ここを買う!という気持ちを拒否できない。だから私は苦しんでいる。ところが他方では上に書いたように、私にとって慌てるのも無理ない状況。自分が考えていたよりもどんどん前倒し前倒しで事が決まろうとすれば、当然人間はそれにブレーキをかけようとするだろう。それもまた当たり前。私はどうすれば良いんだ。

考えた。私の側に甘えがあった。私は、いつかは転居するが、今回は3回目の内覧で、決めるのは5回目の予定だから、その間に自分の心を何とかすれば良いと思っていた。でも自分以外の者の立場になって考えると事情は違う。業者は、私たちに適した物件が売りに出されればどんどん紹介する。親は、とにかく転居したい。そんな中で私は呑気すぎた。

私は親との間に協定を結ばなければならない。今回の(私自身ですら気に入った)住居の購入をしないばかりか、夏の終わりまで次の内覧をしない事にさせる。私には物理的にも精神的にも時間が必要だから。夏の終わりまでに私は何としてもVHSビデオテープのPC保存を終え、しかもそれまでの間に心の整理と、今いる住居よりもあからさまに狭くなる場所へ何を移し、捨てる「他の大部分」は何かをはっきり決めなければならない。他方で、それほどの事を親に要求するには、私の側もそれに見合った事をする必要がある。私は秋になって最初の内覧で見た住居に文句を言わずに転居する。つまり私は今年の秋には転居する。それしかない気がする。

困った事になった [ここは地獄の3丁目]

先日住宅の内覧に行ってから、精神状態がおかしい。何とか普通に戻ろうとしているが、何をしていても漠然とした不安が頭に渦巻いて物事に集中できない。そういう自分を何とかしようと好きな事に熱中すると、不安は不安で残ったままで体に負担をかける。酒に逃げるのはそもそも不安を増大させるから間違っていて、しかも6月から国の意図で値上げされる。どうしたら心が穏やかになるのかがわからない。

詳しい事情はメモを残してあり、住居内覧の記事になるはずだった。ところが、今日そのメモを推敲していたら不安が襲ってきて、このままでは明日人と会った時に気が動転してうまく喋れない事態になりそうで、今そのメモを見て思い出しては駄目だということになった。だから推敲を中止し、内覧の記事がすぐには出せない。

きっと数日の間は内覧ではなく趣味の記事が怒涛のように出るか、沈黙するかだろう。怒涛のように出る時は、趣味を楽しんでいるのではなく、ざわざわと騒ぐ心を制御できなくてどうしていいかわからず趣味にぶつけているだけだ。沈黙したら、押し潰されて何もできなくなってしまったということだ。

そしていつか心の整理がついたら、内覧の記事を推敲してUPするだろう。

intermezzo [ここは地獄の3丁目]

私がまた住居内覧の事を言ったものだから、親が翌日には早速外出して人と会い資料を手に入れてきた。
私は今の家が好きで離れたくなく、そういう自分を何とか納得させようと時間をかけて頑張っているので、親のいそいそとした行動はゾッとする。
親が言うには、私が考えている少し離れた団地には今物件がなく、前回前々回の内覧の団地でまた物件が出たので、手に入れてきた資料はそれだという。
私はその資料を見た。平面図を見ると、前回の物件とほぼ同じ構造だ。私はここの設計のコンセプトが自分にどうにも合わないと感じる。南側に大きなリビング兼ダイニングがあり、ダイニングだからキッチンとは別室ながら実質的に仕切りがなく、広々としてイイダロウという声が聞こえてきそうだ。しかしそれこそが私には受け入れられない。私は長年親と暮らしてきて生活スタイルの違いを痛感している。私は子供の頃に大事なレコードをカビの巣にして以来、カビを恐れている。だからカビの餌になりそうな煮物の湯気や炊飯の蒸気が家中に漂うとゾッとする。親はそれには無頓着だ。部屋に置いた石油ストーブの上に煮物の鍋を載せる。私は自分のこだわりのために親の行動を規制することはできない。私にできるのは自分の部屋を密閉して守る事だ。つまり密閉性こそが大事だ。私が言う密閉性は、ヨーロッパでは別段特別な事ではない。私がヨーロッパでホームステイした時は、一つ一つの部屋にドアがついて閉められるのは当たり前だった。日本では、その当たり前を得るのが大変だ。
とにかく、私はその団地以外の物件を見てみたい。仮に私のこだわりが日本の団地では無理難題だとしても、それはいくつもの異なる団地を知って初めて認識できる事だ。私は他の団地を知る必要がある。

死ぬ1日前にやっと好きな事が出来てもいいと知れ [ここは地獄の3丁目]

最近、考えを改めた事がある。思えばずっと、親は今の家の事で建設的な意見を言っていた。畳が擦れてきたのでその上にうすべり(ござ)を敷いていたが、それも擦れたので買い換えないかと言ったのは親だった。風呂場のすのこが古くなり腐ってきて、換えようと言い出すのも親だった。ほんの1年くらい前まで、親はいつも今の家の改善を口に出し、それを面倒に思い従ったり従わなかったりするのが私だった。ここ1年ほどの間は、親は今の家を去る事ばかり考えているので、家の改善を言わなくなった。
私は夜布団の中で、家の天井を眺めて考えを巡らした。私はこの家を愛していると言いつつ、今までなんと無関心だった事だろう。家の改善を思っていたのは私ではなく、この家を出たいと言っている親のほうではないか。新しい住居の話が本格化しつつある今、逃げることは私にとって不毛な行為だ。かといって新しい住居への転居ばかり考えるのは私の意思に反する。では、こういうのはどうだろう。新しい住居への転居は積極的に考えるが、同時に今の家も積極的に改善する。
ここにひとつ考えるべき事がある。今の家から出て行かなければならないのがいつか、それがわからない。1年後か10年後かわからない。特殊な事情があり、家を出て行かなければならないのは他人が死んだ時か、入院してもう長くないと診断された時だ。この家はいわば集合住宅の形になっており、そこには「早くこの家を売って他に新居を建てたい」という世帯と、「この家にずっと住んでいたい」という世帯がある。この家に住む以外道がないという人が生きている限り、早く売りたい派は強く出る事ができないが、その人が死んだ時点で、力関係の均衡が崩れる。それがいつなのか、1年後か10年後か、神のみぞ知る。今まで私は、1年後の可能性もあるので出来なかった事がある。たとえば子供の頃に買ってもらったテクニクスのスピーカーの修理。新しい住居は間違いなく団地だから、大きなスピーカーで音を出す事はできない。修理してすぐに家を出る事になったらと思うと、手をつけられなかった。でもそれでは、大事な人生を無駄にしている。それは生き方が間違っている。たとえば、死ぬ1日前にやっと好きな事に着手できた人がいたとする。好きな事を始めてすぐに死んだ、それは無意味だったのか?違う。明日死ぬか、10年後に死ぬか、誰ひとり知らない。健康な人だって明日事故で死ぬかもしれない。万人がそういう中で人生を送っている。だからいつ死ぬかは問題でない。最後に好きな事ができたなら、その最後まで前向きだった人生は無意味ではない。先を心配して何もしない人、それが無意味というものだ。それと同じく、スピーカーを修理した翌日に家を出る事になっても満足だと考えよ。とはいえ今は家を愛し、改善するのが先なので、スピーカーは後回しだ。1年後にここを出る事になっても構わないから、畳に新しいうすべりを敷き、風呂場のすのこを買い換える。それが前向きの有意義な人生というものだ。
すでにネットですのことうすべりを注文済みだ。すのこは2月に入ってすぐ、うすべりは2月半ばに届くという。うすべりのい草は中国製に違いないから、ダニアースも注文した。まず届くのはすのこだから、届いたら私は古い腐ったすのこをノコギリで小さく切って燃えるごみにする。
それと並行して新しい住居の事も考えている。今までに2回住居内覧をしたが、どちらも同じ団地群の中の住居で、住居の造りも部屋の大きさ(いわゆる団地サイズ)も同じような特徴があった。欠点も共通していた。そこで私は思った。そこが今住んでいる場所に近くて第一候補だからといって、そこばかりを内覧していたら井の中の蛙だ。住居替えは大金が動くから1回しか出来ず、やり直しは出来ない。住居の良い所も悪い所も知った上で、納得して転居したい。そのためには他との比較が必要だ。今住んでいる所から少し遠いが、別の団地がある。そこは部屋の大きさがいわゆる団地サイズではないという情報を得た。次の内覧はそこだ。
こうして私自身は以前よりも前向きになったが、それでも親と話すたびに険悪になる。何故なのか。互いに相手の意見はもうわかっているはずだが、何か口から言葉を出せば、それは自分の立場からの言葉になる。私が上記の事、新しい住居についても今の住居についても前向きに行動したいと思っている事を親に言うと、親はそれを聞いた直後に、自分はもうこの家に金をかけたくないと言う。そう言われたら、私としては、私は親に金を出させるつもりで話をしたのでなく、自分がこの家を愛するために何かする気になったと報告したいだけだと言う。ふと気づくと互いに「自分は」「自分は」という話し方しかしない。意見の違う者同士が口を開くたびに「自分は」「自分は」と言っているのでは、話をしても何も生まれない。不要に嫌な思いをするだけだ。親とは何も話さない方がいいと感じる。

年末大掃除と、家への愛 [ここは地獄の3丁目]

風邪をひいてしまった。寝込んだ。だからこの記事はPCの前に座らずスマホで書いている。

先日の記事で、思い腰を上げて大掃除を始めたと書いたが、あれは実は本題に関係ないからと、わざとサラリと書いていた。本当は体が重く、今年の大掃除はやりたくないと感じていた。毎年もっとやる気があるのに、何か妙だと思った。でもやらないわけには行かない。日本人は年末に大掃除をすると決まっている。きっと掃除を始めればやる気も起きるだろう。こうして大掃除1日目を始めた。

今年の大掃除は去年までと違うことを計画していた。天井を雑巾で拭く。もともと私はそんなに立派な人間じゃない。若い頃は、雑巾がけよりも掃除機で吸うほうが楽だろうと思い、家中のあらゆる所をそうしていた。そのうちにもっとズルくなり、棚の上は埃が積もるが壁は垂直だから埃が積もらない。ましてや天井は真下を向いているのだから埃が積もるはずがないと考え、天井の掃除はしなくなった。それから一体何年経っただろう。私は年をとり、足腰が痛くなり、掃除機を片手で持ち上げてもう一方の手でノズルを持って高い所(電灯の笠など)を掃除するのが無理になった。それで初めて、掃除機よりも雑巾がけのほうが楽かもしれないと思った。それで今年の大掃除は雑巾がけを主にしようと考えたが、そうなると頭に浮かぶのは天井のことだ。ずっと掃除していない天井も、今回は雑巾がけしてやろう。

1日目は玄関の掃除をした。なぜなら、人間だけでなく神霊もここから入ってくる我が家の入り口だから。もちろん天井も雑巾がけし、他の部分もこれ以上できないという位に完璧に掃除した。この日はまだ体が持っていた。

一晩寝て翌朝、起きてみると体の調子が悪い。今日は休みたい。でも今年中に全部の部屋の掃除を終えるためには休んではいられない。掃除を始めれば調子が出てくるだろう。こうして大掃除2日目が始まった。

玄関の次は四畳半だ。なぜなら、この部屋には叔父からいただいたお札(ふだ)が2枚祀ってあるから。他の部屋、とくにご不浄を掃除した後の雑巾や掃除機のノズルで掃除するわけにゆかない。掃除は上から下へとする。下から始めてしまったら、上を掃除した時に掃除済みの場所に埃が落ちてくるから。つまりまず天井の雑巾がけからだ。この四畳半の天井をどう表現しようかとネット検索したが、今どきの住宅にはないのでなかなか見つからなかった。やっと見つけたところでは、竿縁天井とかイナゴ天井というようだ。どうしてこういう構造にするかは知らないが、掃除という観点からはきわめて面倒な、凹凸の多い構造になっている。私は天井を半間×半間に区切り、ひと区切りずつ雑巾がけをした。なぜ半間かは、実際に掃除してみればわかる。天井だから、椅子の上に乗って拭く。椅子を動かさずに手が届く範囲がつまり、半間×半間だ。ひとつ心配していたことがあった。この家は築55年くらいで相当古い。その間天井は張り替えていない。冬には毎年親が能天気にこの部屋で石油ストーブをつけているので、天井材にとっては劣悪な環境だ。掃除機のノズルで吸うならまだしも、雑巾がけなんぞしたら端がめげるのではないか。めげた。この天井はなぜだかまっ平らに板を張らず、各天井材の端に段差を付けている。その段差の所を雑巾でこするので、脆くなっている木材がめげる。それがわかってからは、段差の走る方向に合わせて雑巾を動かすことにしたが、それでもこの脆い天井は毎年こうやってこするべきではない。世の中には、そうっと触らないでいたほうが長持ちする物もある。この脆さから察して、雑巾がけは10年に1回でいいなと私は思った。それと同時に転居のことが頭に浮かび、実際には天井の雑巾がけはこれが最後か、ならば愛情をこめてやってやらねばと思った。

朝起きた時には悪かった体調は、体を動かすと良くなった。私はしばらく元気に天井の雑巾がけをした。ところが、天井を雑巾がけするという計画は、例年の大掃除よりもずっと時間を要した。お昼になってもまだ天井と、鴨居までの木材の雑巾がけしか終わらなかった。せっかく良くなった体調も、無理をしたせいか、また悪化した。悪寒がする。私の体が、今日中にこの部屋の掃除を終わらせることはできない、それどころかすぐに布団に入って寝なければいけないと訴えていた。でも残念ながら、そうは行かなかった。この部屋の掃除を始めるにあたり、移動できる限りのものを別の部屋へ移動した。夜寝るまでの間に、別の部屋に移動したものを戻さねばならない。ところが四畳半は掃除の真っ最中で床は埃だらけ、別の部屋へ運びきれなかったものが四畳半の真ん中に集められている。私が四畳半の畳に掃除機をかけて物を戻さなければ、私の寝る場所も親の寝る場所もない。それで私は無理をし、体調はさらに悪化した。

その時、お札の一枚を祀っている場所の近くで何かを見つけた。長押と小壁の間には隙間があるが、その隙間から見つけた。竿縁天井と同じく、この長押という構造も私にとっては毎年掃除しにくい面倒な場所だ。小壁との間の隙間は意外と深さがあり、当然ここに埃がたまるが、掃除機のノズルでもなかなか吸い出せない。私が若かった頃、大掃除を親に代わって初めて本格的にしようと思った頃は、この隙間から土壁の塊らしきものがゴロゴロ出てきて閉口した。だって、きれいだと思っていた室内から、外の道端の石くれと同様のものがゴロゴロ出てきたんだから。その土壁の塊らしきものも毎年の大掃除で取り除き、もうこの隙間には埃以外何もないと思っていた。でも見落としていたようだ。毎年掃除機のノズルでは吸っていたが、雑巾を指に巻き付けて溝に突っ込んだのは初めてなので、それで今回初めて見つけられたのだろう。何が見つかったかというと、昔の子供のおもちゃだ。プラスチック製で、三ツ矢サイダーのマークみたいに三方向に羽が出ており、その羽の先は細い円形のプラスチックにくっついている。見たとたんに記憶の断片が現れた。この羽は、プラスチックの、たしか黄色いおもちゃに取り付ける。このおもちゃには糸が巻きつけてあり、糸を引っぱると糸を巻きつけた軸が回り、それに取り付けた羽が回り、揚力を得た羽は軸から離れて飛んでゆく。本来は外で遊ぶおもちゃだが、私は子供の頃竹トンボも部屋で飛ばしたことがあり、この「ヘリコプター」も室内で遊んだのだろう。何度も飛ばしているうちに羽が変な所に入って戻ってこなかった。そんなおぼろげな記憶が蘇った。昔の思い出を探している私にとって、これは神からのプレゼントだった。

家中の懐かしいものをチェックして「自宅地図」と称して記録したつもりが、まだ私の探し出していない懐かしいものがあった。長年住んできた家は、思い出の宝庫だ。いずれ事情により転居し、その家を捨て去る時が来るのは仕方がないとしても、それまでの間、家を全力で愛してやらずしてどうする。

2回目の内覧 [ここは地獄の3丁目]

前回の住宅内覧で不満ばかり言った親は、それでもまたいそいそと別の物件を内覧したがる。前回の内覧でこんなものだろう、いや良い物件だったんじゃないかと思った私は、それでも家を移る話になると精神が不安定になり、親と喧嘩をせずにいられない。仕事に続いて昔の思い出の土地や家までも手放して一切の希望を捨てろと言われた人間の気持ちは、そうなってみなければわかるまい。

親が聞いてきたところでは、住居を決めるまでに人々は5件くらい内覧するという。我々は、2件目の内覧をすることになった。今度は賃貸でなく分譲だ。ずっと私は、賃貸のほうが安く済むと思い込んでいた。分譲住宅を買う金はないと思っていた。親は古い人間だから、借りないで自分の家をという思いがあったようだ。実際にはどうなんだろう。賃貸も長く住めば家賃の累計は相当なものになる。分譲を買って自分の家だと喜んでも、住居そのものを買うだけでなく維持費が毎年かかる。今はどうしても親主導で動くので、正しい見積もりは出していない。いずれは私が現実を受け入れて前向きにならねばならない。しかし家を移る話が出るとパニック状態になる今の私はまだそれができないというのが現段階だ。

さて2件目の内覧だ。内覧の担当者と会って早速住居に入る。私は車を持っていないので、今の家には買い物のためのカート(ガラガラ引っぱるやつ)が2台ある。でも団地に住んだらそもそもカートの置き場がないと気づいた。1台のカートを捨て、もう1台を玄関の狭い叩きに置くしかないか。あ、共同の駐輪場があるか。そこに自転車やバイクのかわりにカートを。変な奴になってしまうな。前回の物件はスリッパ持参の必要があったが、今回のは内覧用のスリッパが玄関に用意してあった。

内覧の担当者が言うには、お客さんはよく一番端の住居を欲しがる。端でないと両隣の騒音に悩まされるから。でも端には端の欠点がある。端の住居はカビが生えやすい。とくに北側。それに冬は暖房効率が悪い。両側に住居があると、暖かい。

今回の物件は前回のよりも広々として、部屋数も多かった。そんな物件が我々に買えるのかと私はビクビクするが、親は乗り気だ。私は内覧前に平面図を見て、ひとつ気になったことがあった。8畳くらいのとても広い部屋があり、リビングダイニングと設定されていた。ダイニングであると同時にリビング。ここで私の前回の記事を思い出してみると、私の勝手な要望は、ダイニングなくていいから部屋を大きく、だった。確かに8畳もの空間があれば文句のあるはずがない。しかしダイニングでもあるということは、キッチンと繋がっているだろうな。間仕切りにドアはないと思う。もう一度私の前回の記事を思い出してみると、私は食事の空間と仕事の空間を分けたい。実際に内覧したところ、思った通りだった。間仕切りには大きな出入口があり開きっぱなしだ。そこから南側の明かりが差し込んで奥のキッチンも暗くならないというわけか。この物件は良く出来ているが、私の望みには合わない。これは賃貸でなく分譲なのだから、買ってから大金をかけて改築するという可能性はある。可能性はあるが、そんな金が果たしてあるかな。

初めての内覧 [ここは地獄の3丁目]

初めての住宅内覧というのを体験した。物件はURが管理する賃貸。URからもらってきた鍵貸し出し票と本人確認の保険証等を持って住宅の管理事務所に行き、鍵貸し出し票を渡し、かわりに鍵を借りる。一番意外だったのは、URを仲介しなくても管理事務所で相談して鍵を貸し出してもらえるらしいという事だった。それならば次回からはURを通さずに事を運んだ方が交通費と時間の節約になる。今回の内覧に必要なものは、上記の貸し出し票と本人確認書類。URからもらった紙には、他に持って行ったほうが良いものとしてスリッパ、懐中電灯、巻き尺、メモ用紙と筆記具が書いてあった。私がそれに追加したのはデジカメ。

内覧の印象は私と親とで随分違った。親の第一印象は部屋が小さいという事だった。「タンスや戸棚を運んできたら、もう私の寝る所がない」と言って妙にショックを受けていた。いっぽう私は初めからそんなものだと思っていたので、何でもなかった。以前に書いたが私は越してきたら人生終わりだと思っている。資金がないから、越した住居は小さいと初めからわかっており、今の家の思い出ある多くのものを捨てなければならない。仕事人間だった私がリストラを体験して職場に不信感をもち、仕事を生き甲斐に出来なくなり、それ以後唯一生き甲斐にしている昔の思い出を捨てろという事だ。生ける屍として存在しろと言われているのだ。初めから地獄を内覧しに来たのに、それ以上何のショックがあろうか。なるほどな。やっぱりか。それだけだ。それに、以前に家のうすべり(ござ)を換えようとネット検索した時に、団地サイズの1畳がうちの1畳よりも小さいのはわかっていた。親はそれを忘れていたそうだ。

その物件で、私は個人的に3つのことを思った。まず、押し入れの襖の敷居がすぐ横の出入口の引き戸の敷居を兼ねていることを不審に思った。向こうから人が部屋へ入ろうとする丁度その時に部屋の中の人が押し入れの襖を開けると、入ろうとする人は目の前で入り口を閉められてしまう。

次に思ったのは、これは親が見つけたのだが、襖をぴったりと閉めた状態で、上に隙間が開く。ここは賃貸だから、初期状態のこういう点はしっかり記録しておき、出て行く時に自分の仕業とみなされ修理をさせられないように気を付けなければならない。

3つめは、私個人の事だが私としてはここに記録しておかなければならない。物件は2DKだったが、2つの部屋が小さいと感じたのと反対に、キッチンと仕切りなく続くダイニングが私には大きすぎる。そもそも現在、うちにダイニングはない。長年、あるひと部屋にテーブルを出してはそこへ料理を運んで食べていた。その状態で50年くらい生きてきた。今更広いダイニングは無用。そのぶん部屋のほうを広くしてほしい。つまり私の勝手な理想は、ダイニング要らないからそのぶん部屋を大きく、だ。ダイニングスペースを部屋として使うという方法もないことはないが、キッチンと直結しているから揚げ物を作る時などは油臭くてリビングルームって感じじゃないだろう。ニンニクくさい料理の時、私はその場でゆっくり読書ができない。食事系の空間と仕事系の空間は仕切りたい。

管理事務所まで来て初めて知ったこと。この物件は高いビルの上から2階目だが、こういう高い所は鳩の糞害があるという。とくに今は人が住んでいないから。行ってみると、確かにベランダに鳩の糞があった。

内覧の時、周りの住居が出す音にも気をつけてみると良いそうだ。周りは嫌に静かだった。その静かさの中で音を立てないでそーっと歩くのが私。構わずスタスタ歩くのが親だった。私は、越したら最後、こうして音を立てないように気をつけて暮らさなきゃならないんだなと思った。親は無頓着だ。管理事務所に戻ってから聞いたところでは、この物件の上も下もご老人が住み、隣はサラリーマンで昼間はいないそうだ。部屋が狭いといつまでもこだわる親とは違い、私は、これは住みやすい物件だったんじゃないかと思った。

ここは地獄の3丁目 [ここは地獄の3丁目]

これからブログに新しいカテゴリーを作る。とても奇妙で、住居探しの実用的記録と、極めて個人的な人生の苦悩が入り混じった記録だ。ネット検索の偶然で住居探しのキーワードが一致して見に来た方は、それと同時に書かれる個人の奇妙な人生の苦悩を目にして戸惑うかもしれない。

しかしブログというものが書き手の日記的な一面ももつ以上、そういうこともありうる。私は人生の記録として記事を書かねばならない。そこには、住居探しの間に得た知識や経験も記録しなければならないし、それを左右することになる自分自身の苦悩も書かねばならない。

世の中には「木の芽立ち」という言葉があるそうだ。人の心が妙になる季節だとか。しかし私に言わせれば、木の芽が立つ頃はそんな季節ではない。この記事を書いているこの時期こそ、人は心を病む。会社が社員をリストラする時はその数か月前に通知する。それが会社にとって厄介事を回避する手段だからだ。つまりこの時期。この時期になると私は毎年不安定になる。人はなぜ狂気に陥るのだと思う?若い頃、私はそれを知らなかった。でも長年生きて、今ではわかっているつもりだ。社会が狂っているから、それに触れた人が狂うのだ。

新しいカテゴリー「ここは地獄の3丁目」の記事は、出来事が起きた時にUPされるものではない。たいていはずっと後で、何か月も後で、出そうか出すまいかと悩んだ末に出す記事だ。誰が好き好んで、人が読みたがらない個人の人生の苦悩をいちいち記事にするだろう。でもこのブログは私の生きた記録だ。他人は関係なく、どんなに苦悩してもそれが自分の人生の1ページならば、それを記録しなければならない。何か月も悩んだ末に、私はUPする。だから記事に記録されている日時には意味がない。

この記事を出す前、ブログの全記事数は1436件だった。私は考えた「もうじき1440になるなあ」。でもそれはいつのことだろう。私が精神的に押し潰され、記事を書く勇気がなければ、何年経ってもたったひとつの記事も増えない。

そこで私は思った。今年中に1444を超えることを、生きる目標にしよう。しかし記事数をただ増やすのでは駄目だ。各々の記事が、意味のある、いっしょうけんめい書いたものでなければ駄目なんだ。他人がそれに興味をもつかどうかは問わないことにするが、とにかく自分が書かずにいられなくていっしょうけんめい書いた記事でなければいけない。

できるか、今年は残りあと2週間。

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