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採血日が近い [痛風日記]

3日後は採血の日だ。アルコール依存症である私の場合、飲酒が血中尿酸値を左右する。私は4月の9日あたりから酒を全然飲んでいない。我慢しているのでなく、毎日が忙しすぎる。飲みたいと思う余裕がない。採血までは飲まずにいられるだろう。アルコール依存症でない人にとっては、1か月酒を飲んでいなくても「それがどうした」という感じだろうが、依存症の人間にとってこれはものすごいことなんだ。

果たして血液検査の結果はどんなだろう。今までは通院のたびに(2、3か月に1回)記事を書いていたが、もう事情がわかったので新たな進展もないだろうから、次回の通院(採血)日には記事を書かないだろう。現在の私の関心事は、自分の痛風の原因と思われるアルコール依存症が今後どうなるかということだけだ。

もしも採血日に記事を書くとしたら、それは血中尿酸値が意外にも上がっていたり、血糖値が意外にもひどく高かったりした時だ。そんなことはあってほしくない。記事を書かずに済むことを願っている。


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このところ酒を飲んでいません [痛風日記]

今日は飲酒の話です。言うまでもなくアルコールは尿酸値を上げる要因です。

アルコール依存症の私が3週間酒を飲んでいません。この依存症は体の病気かもしれませんが、心の病気でもあります。例えばこうです。何かとても大きな不安が生じて心が壊れた時に、無性に酒が飲みたくなります。たくさん飲んで脳がまともに考えられなくなると、たしかに一時的にとても幸せになります。酔いが覚める過程で不安が襲ってきますが、依存症になるほどたびたび飲んで酔いに馴れていれば、ある程度の対処法を自分で考案しているものです。さて、不安材料が去りました。これで酒を飲まなくても良くなったはず。ところが依存症なので、やはり飲みたいです。以前は「不安を取り去る」という大義名分を掲げて飲んでいましたが、それがなくなったので何となく飲みたいから飲みます。もう飲まなくていい、飲んじゃいけないとわかっていながら飲んでしまいます。だから依存症です。そして飲めば、やはり一時的にとても幸せになります。もちろん酒は感情増幅剤にすぎませんから、楽しいことを用意しなければ楽しくありませんが、依存症になるほど飲んでいる人間ならその辺は心得ています。こうして、辛いことがある時もない時も結局酒を飲み、出費は嵩み、痛風になります。

では私はどうやって3週間も酒を飲まずにいられたのか。それもまた、この依存症が心の病気だからこそです。自分の心の中で飲酒の衝動を上回る何かが生じた時、飲酒衝動が打ち消されます。仕事が始まった、忙しい、仕事は全力でやるものだ、大事なクライアントが待っている。「えらいこっちゃ」と思い、酒を飲む暇がなく、気がつくと3週間が経っています。そして痛風治療の血液検査。採血まであと2週間。もしも血中尿酸値が規定値を越えていたら薬を増やされる!また「えらいこっちゃ」と思います。結局私の場合、こういう外部からの枷みたいなものが心を抑えつけてくれないと危ないです。


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薬剤服用歴管理指導料で失敗 [痛風日記]

今は午後1時。早くも帰宅してこの記事を書き始めた。つまり私は午前のバスに間に合ったということだ。今回の記事は病状の件でなく、個人的記録だ。そして珍しく午前のバスに間に合ったご報告でもある。

病院に着いて、最初は予想通りだった。つまり「やっぱり午前のバスは乗り遅れ」という感じで始まった。待合室で45分ほどいつも通りに待ち、10時30分になると、これもまたいつも通りに「30分遅れ」の看板が出た。これから10時予約ぶんの人を呼び始めるという。いつも通りならそのうちに「45分から1時間遅れ」となる。暇だから色々考えた。プラス思考で午後バスのことを考えた。「バスを2時間待つ間に持ってきた菓子を食べるのも悪くないなあ。午前のバスで急いで帰ると病院向かいの薬局に寄る時間がないから、バスを駅前で降りて薬局に寄らなきゃならないんだよなあ。午後のバスなら家の近くまで帰れるなあ。」
そうしたら、11時になる前に名前を呼ばれ、11時になる前に問診が終わってしまった。これは珍しく、午前の最終バスに間に合うではないか! 11時8分に会計。薬局も行けるか? 10分に向かいの薬局。10人くらい待っている。薬局は呼ばれるまでに時間がかかるものだが、ここまで来たら運任せだ。バスに乗り遅れたら2時間待って菓子食べて帰ればいい。
薬局もそれほど時間はかからず、私は首尾よく午前最後のバスに乗り、家を目指した。もうここまで来たら後は家の近くでバスを降りてちょっと歩いて帰宅するだけだ。
ところが、バスが家の近くまで行かずに駅で停まり、ここで終点だという。しまった!午前最後のバスはここから先へ行かないんだった。すっかり忘れていた。今日の予約が10時15分になった時点(1月の電話予約)で、午前のバスは「ありえない」ことだったから。
駅から家まで歩くのは構わないが、こうなるんだったら時間があっても病院前の薬局に寄るんじゃなかった。駅近くの薬局に寄るんだった。なぜなら、ひとつの薬局に半年以上行かないと、次に行った時に何とかいう料金(薬剤服用歴管理指導料?)を余分に取られるから。考えるべきことが多くて、私のオツムでは何かを忘れてしまうことが多い。




薬のすごい効果 [痛風日記]

私は痛風の小さな錠剤を毎朝1錠服用している。他には何も体に良いことをしていない。していないだけならまだいいが、生活不安から12月1月にかなりの回数酒を飲んだ。2月に入ってからも飲んだ。ところがだ、足が腫れない。親指の付け根も膝も腫れない。

もしも酒をきちんと絶っていたら、私は酒を飲まないから痛風が治ってきたと思ったことだろう。でも現実には、不安からたくさん飲んでしまった。それで痛風発作が起きないのは、薬の効果以外に考えられない。小さな錠剤を、1日1錠だけ。それで人間の体質は変わってしまう。薬の効果というのは、すごいものだ。それと同時に恐ろしい。間違った服用のしかたをしたら、体がどうなるかわからない。

痛風の薬だけではない。たとえば睡眠導入剤。いわゆる睡眠薬。私はある薬を飲むと、まず間違いなく1時間後に眠る。薬がないと緊張や不安で眠れない時も。

こうして私は最近、薬というものの効果を改めて認識したので、今日はそれを書きたかった。

明日は、私の3ヶ月ぶりの通院日だ。でも予定では、問診と薬だけで終わる。そしてまた(以前の痛風記事を読んでくださった方はご存じのように)バスに乗り遅れ、病院の待合室で2時間待つ。もしも予想通りの結果になったら、明日はわざわざ痛風の記事を書くまでもないので書かないつもりだ。明日、私のブログに痛風記事が出なかったら、「ははあ、病院の待合室で2時間待ったな」と思ってほしい。





また酒を飲んでしまった。その理性的分析。 [痛風日記]

恥ずかしいから書きたくなかったが、ブログ記事は私の闘病記録でもあるから自分に嘘をついちゃいけない。

「酒を飲んじゃいけない病気なのに、どうして酒を飲むんだ。」と言われそうだが、残念ながらそれは逆だ。酒を飲まねばならない状態が続いたから病気になってしまった。そして、治療を始めても、酒を飲まねばならない状態が終わったわけではない。

「でも、ブログ記事に痛風のことを書き始めてから去年の11月までは、1か月に1回だけの飲酒で、本数も少なく済んだじゃないか。」と言われれば、その答えは、私の生活不安は季節により増減する。言うまでもなく社会は4月から新年度で、それに向けて動き出すのが前年の12月からだ。たとえば会社がリストラをしようとするなら、3月になって急に告知するのは会社自体のためにならない。あらかじめ告知しておくのが会社の立場を守れる。これはほんの一例だが、とにかく12月あたりから人生の悪い意味での変化が、もしあるならば始まる。そして、仮に人生の悪い意味での変化がなくても、人は「今年はあるだろうか」と気に病み始めるから、毎年12月あたりから心が病み始める。

「酒なんか飲んで、何かが変わるのか?」と聞かれれば、変わる。これについては、細分化して考えなければいけない。酒は、気分の増幅剤だ。飲酒前の精神状態いかんで、何が増幅されるかが決まり、これは大事だ。

目の前に恐怖の対象があって逃げられない時は、飲酒によってその恐怖が増幅されてしまうから飲んではいけない。そういう時は辛くてもじっと耐える。いっぽう、不安材料が曖昧な場合もある。今日何かがあるのではなく、1か月後とか近日中に何かがあるかもしれずそれを恐れている場合。恐らく何かがあるが、それが自分の生活にどれほどの脅威となるかがまだわからない場合。わからないけど不安に押し潰されそうな場合。今すぐ恐れなくてもいいと頭ではわかっていても、心が不安に取りつかれてどうにもならない場合。そういう場合は、飲酒で不安を一時的に忘れられる。ただしそれにも方法がある。

まず、楽しめる何かを用意する。酒は気分の増幅剤にすぎず、それ自体が楽しいのではない。自分が楽しめる何かがある時、その楽しい気分を増幅してくれる。

飲み始めたら、余計なことをせずに楽しみに没頭する。これは、飲み終わった時に「実に楽しかった」と満足するために必要だ。飲み始めても好きなことをせずに「ちょっとあの仕事をやってから」などと思うと、結局楽しむ前に酒が終わってしまい、何のために飲んだんだと後悔することになる。

飲み終わった後、飲酒量が少ないとそのまま目覚めており、飲酒量が多いと寝てしまって数時間後に目覚めるが、どちらの場合も飲み終わった後が一番大事だ。飲酒中に楽しいことに没頭して不安を忘れていると、飲酒後に突然その不安を思い出すものだ。これはとても恐ろしい。ではどうするか。不安を完全に思い出すよりも前に、自分に与えられた仕事をせよ。それは家事かもしれないし、届いた手紙の整理かもしれない。その時に目の前にあるやるべきことをせよ。それを、不安が不必要に増大しなくなるまで続けよ。うまく行けば、飲酒前には心が不安に取りつかれてどうしようもなかったものが、飲酒後にはものごとを冷静に見られようになっていることもある。もっとも、いつかまた不安はやってくるだろう。

飲酒にはリスクがある。病気になる。どんな病気になりやすいかは人によって違うと思われる。たとえば痛風になりやすい。たとえば痔になりやすい。心が辛くてリスクを承知の上で飲まずにいられないという条件が、飲酒の大前提でなければいけない。

 [痛風日記]

私がなんで酒を飲むのか思い出した。私は、自分が世の中を思い恐くて押し潰されそうになった時に、その不安で自分が自壊してしまうのを防ぐために、思考をやめさせようと飲んだのだった。それが正しいのかはわからないけれども、私はいつも必死だった。

Flügel
GIGANTIC FORMULA Version

Am Morgen erwache ich allein, einsam und kalt
Nur Erinnerungen erwärmen mein Herz

Ich liebe dich jetzt noch, ich weiss es jetzt genau
Ich sollte dich nicht verlassen!

Ach, hätte ich nur Flügel,
Würde ich sofort zu dir fliegen
In meinem Hoffnungsbild wärest du immer neben mir
Und lächeltest immer noch mir zu...


経過記録 [痛風日記]

あと約1か月で病院へ行く。採血でなく問診と薬をもらってくるだけだ。少し記録したい事も出来たので、記事を書きたい。

まず発作の有無から。11月と12月の記事に、膝が痛いと書いた。全然歩けないほど悪くはなく、階段は無理という程度の痛さだった。その後、膝は痛くならない。足を酷使し、しかも晩に風呂で温めた事もあった(痛風発作は温めると悪化する)が、膝は痛くならない。12月にはストレスから酒を3回、1日おきに飲んだが、それでも発作は起きない。正確な事情まではわからない。薬が効いているから発作が起きないのか、それとも関節に尿酸結晶がもうないから発作が起きないのか、それとも痛風発作は数ヵ月に1度の周期で起き、前回が去年の11月12月だったから今は発作がないのか。それは残念ながら、わからない。とにかく、こうして記録は残してゆきたい。

飲酒について。私は、自分の痛風は長年にわたる飲酒が原因だと思っている。一日おきや、時には毎日飲まねばやっていられないほど精神的に追い詰められた。逆に考えて、飲酒さえやめれば痛風は無くなると思っている。そして去年の11月までは、酒を1ヶ月に1回に抑えられると思っていた。でもそれは私が甘かった。人生が続けば、またストレスはやって来る。私は一体どうなってしまうのだろう。私以外の人は、人生のストレスにどんな方法で対処しているのだろう。

病院の予約について。以前の記事に書いたが、私は予約時間が10時ならばギリギリ午前のバスに間に合って帰宅でき、10時15分だと午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちとなる。しかも午前のバスに乗り遅れるタイミングというのが、目の前でバスが出てしまうという最悪のタイミングだ。だから何としても早い時間に予約を入れなければならない。今年の正月休みが終わって私は病院に予約の電話をかけた。電話口で「出来るだけ早い時間が良いのですが」と伝えた。電話の声が言った「10時15分が空いています。」私は思わず「ちょっと待ってください」と言った。10時15分では午前のバスに乗り遅れて午後のバスまで2時間待ちではないか。それならむしろ、一番遅い予約時間にしてもらえば午後のバスまでの待ち時間が少ないというものだ。でも、さっき私は出来るだけ早い時間が良いと相手に伝えた。それで今度は出来るだけ遅い時間が良いと言ったら、私は言っている事が支離滅裂の変な人だ。私は観念した。

大掃除と痛風発作 [痛風日記]

私の行きつけの床屋さんは年末の大掃除をあまりしないらしいが、私は彼とは世代が違うので必ずしなければならない、それがなければ年は越せないという思いが頭に染み付いている。ところが去年は、体調不良を押して掃除をしたら年末に寝込んでしまい、それに追い討ちをかけて元旦に痛風発作が始まった。天井を雑巾がけするために台の上に上ったり降りたり、踏み台昇降運動を延々としたのがいけなかったと思われる。年をとって体に故障が出ると、若い頃には出来た事が出来なくなる。みじめな気持ちだ。でも前回のような家人を巻き込んだ年末年始大惨事を起こすのは駄目だ。今年は大掃除を諦めようと思う。せめて、神に関係する所だけ、つまり神の入口である玄関と、神棚だけは何とか掃除できないかと思っている。
それでも、昨日はひとつ良いことを発見した。実は昨日パソコンが起動しなくなった。そんなことになるとは思わないから、あらかじめたくさんの物を出してきてそれを今日中にパソコンで処理するつもりだった。でもパソコンは動かない。結局、何時間もかけてパソコンは直したが、その時にはもう日が傾いて寒くなっていた。でも今日中にたくさんの物を処理しなければならない。その物が部屋の真ん中に居座って、そのままでは布団が敷けない。つまり寝られない。私はすでに寒くなった自室で2時間くらい座って作業しなければならなかった。腰痛を恐れて途中で立ち上がって動いたりしたが、それでもこんな事をしたら、痛風治療前には私の足はすぐに異常を訴え、腫れぼったくなり、最悪では痛風発作が始まった。ところが昨日はそれがなかった。体に無理をさせたのに。だからひょっとすると、足の親指の付根関節の尿酸結晶は溶けているのかもしれない。でも私の痛風発作はすでに足先ではなく膝へと移っているから、油断はできない。

左膝が痛い [痛風日記]

左膝頭が少し痛い。外出は近所のポストまでは行けるが長距離は無理。階段は痛くない右足だけで1段ずつ登り降りするしかない。

昨日の外出で足に無理をさせた。その日は何ともなかったが、一晩寝たら痛くなっていた。そういう所は痛風発作に似ている。ただし本来の痛風発作はものすごく痛いもので、少しなら外を歩けるなんて書けない痛みだ。これが軽度の痛風発作かどうかはわからない。とにかくロキソニンの貼り薬を貼った。

今日はこれから家でひと仕事あるので、今のうちに厄払いのクラシック音楽をUPしておこう。午後はたぶん、その「ひと仕事」で大変なはずだから。

Vc

(音楽の道しるべふたたび(Vc))
(最後のカセットテープ補完計画 (016))
ブログ記事のカテゴリーって、複数のカテゴリーに関係する記事だとどこに入れるべきか困る。

また酒を飲んでいる [痛風日記]

もう駄目だ。こんなに早く酒を飲むはずがないのに飲んでいる。きのう、ふと酒が飲みたくなり、前回の酒から3週間くらい経ったかと感じつつカレンダーで確認した。すると驚いたことに、前回の飲酒から1週間と少ししか経っていなかった。毎日色々なことをしたので1日に厚みがあり、たった1週間を遠い過去に感じたのだろう。でも飲酒してはいけない。一晩寝て今日になった。この日に飲酒したい気持ちは朝からあった。午前中は買い物に行った。そこまでは良かった。買物の後、酒を飲んでしまった。なんで昼間から飲んでいるかには複数の理由があるが、いちばん大事な理由は、明日出かけなければならないことだ。アルコールが体内にある状態で寝ると眠りが浅く、翌朝体調が悪い。体調不良で外出してもひどい1日になる。早く飲み始め、早く飲み終わり、早く酔いをさまし、早く体内のアルコールと毒素を分解し、翌日に持ち越さないようにしなければいけない。

前回も「また酒を飲んでいる」という同じ題でブログ記事を書き、その後半ではまったく別の話題に飛んで、読者を呆れさせたに違いない。今回も事情は似ていて、このあと、こういう時でなければ書けない事を書いてしまう。が、前回と違って今回は動画の操作ではない。全然別だ。




何か月も前に、ある若者と話をした。彼はドイツ語が好きだと言うので、ドイツ語が嫌いな私は早々に会話を切り上げたほうが良いと察した。が、話を切り上げるにしても急はいけない。そこでまず、どうしてドイツ語が好きになったのかと聞いておくことにした。すると彼は意外なことに、あるゲームの話をしはじめた。そのゲームの名前がどうにも聞き取れない。どうやら日本語ではないから、私はアルファベットで言ってもらった。dies iraeでディエス・イレと読むそうだ。調べたらラテン語だ。私はラテン語も嫌いだ。理由は、日常語として死滅した死語のくせに学術語として世界中で動いているから。ゾンビみたいで気持ち悪い。ゾンビのくせに妙なステータスまで身につけている。だから嫌い。複雑な文法が嫌なのではない。あ、ただ1回だけ学生時代に、他校のラテン語の先生を囲む会に呼ばれたことがある。その先生が「来るものは拒まず」というタイプの人だったから、見ず知らずの私でも会の常連に紹介してもらえば参加することができた。その先生が、ラテン語が好きなんだなというのが伝わってくる人だった。みんなでgaudeamus igiturを歌った。もしも私がこういう人の傍にいたならば、私もラテン語が好きになったかもしれないなと思った。それが、私がラテン語にもつ唯一の肯定的な記憶だ。

閑話休題。話を元に戻す必要がある。その若者はdies iraeというゲームが好きで、彼の話によるとそこにドイツ語が出てくるらしい。彼との話はあまり深い所まで行かなかったが、私は若者と話をした時にはそれを大事にしたい。ある女性から柿原徹也氏の話が出た時にはそれをネットで調べた。それでどうなったというほどの結果はないが、私は若者が個人的に強く思うことを大事にしたいのだ。だから今回も、dies iraeというゲームは何かをネット検索した。そうしたら色々と驚きの情報が出てきた。

驚きその1。これはエロゲーである。はぁ?ほんとに?だってその若者は臆することなく私の目を見てdies iraeというゲームの話をした。ふつう年長者に向ってエロゲを熱く語らないだろう。さらに調べた。別メディアでサブタイトル違いの18禁でないゲームが出ているらしい。再確認しようと今調べたら酔ったせいか見つからなかったが、ここで時間をとると酔いが回りすぎてこの後の「本来書きたかったこと」まで書けなくなるから先へ行かせてほしい。

驚きその2。近々アニメ化放送がある。(当時の話。今ではアニメの地上波放送分がもうじき終わりそうだ。)

驚きその3。オリジナルのゲームもそこから派生したアニメもそれぞれに複数の意味で「濃い」作品らしい。アニメのほうは、どっかの会社がスポンサーではなく、ゲームの熱愛プレーヤー諸氏が「スポンサー様」になっているという。これは興味深い。もちろん、巷のアニメ番組が全部こんなだったら大変だ。でも試みとしては、とても興味深い。何が興味深いか。普通はアニメ制作者が何よりも気にするのはスポンサー(どっかの会社)と視聴者(一般のなんにも知らない人)の反応だ。ところがこのアニメに限っては、事情が違う。気にするべきスポンサーは「どっかの会社」ではない。原作ゲームを熱愛するプレーヤー諸氏だ。その結果、ほんらいアニメ制作者が気にするべき「一般のなんにも知らない人」としての視聴者は、二の次にしなければならない!何よりもまず、スポンサー様(原作を知り尽くした熱愛者)が満足なさるアニメを作らねばならない。でも、一般人を置いてけぼりにしたら、一般の人のこのアニメにたいする評価は地に落ちる。いや、『スワスチカ』に堕ちる!さあアニメ制作者はどう動くか。それが私は興味深い。

オリジナルのゲームが「濃い」作品だというのは、一度ウィキペディアで「Dies irae -Also sprach Zarathustra-」を調べてみればわかる。第一印象「なんじゃいこりゃぁぁ!!!何が何だかわからん!!」でも私はある若者と話をし、彼の熱い思いを聞いたのだから、それでへこたれるわけに行かなかった。日を改めてウィキペディアを読んでみた。ところが、なんにも知らない私はウィキペディアを、日を改めて2回読んで、それでも、わかったような気になっていただけだった。そしてアニメが始まった。幸運にも、同時に始まった妖怪人間ベム50thがきっかけで、私は「あにこ便」というものを知った。これは、テレビ放送の中から特定の静止画だけを紹介してストーリーがわかるようにし、それに加えて人々のツイートを紹介する。このツイートが大事だ。ニコニコ動画のコメントと同じだ。dies iraeの場合、元ゲームを知らない視聴者にはこのコメントが必要不可欠だ。

ようやくこの記事の一番大事な所にさしかかったのに、私は金麦を飲み尽くすほどの時間を費やし、脳が酒漬けだ。もうあかん。なんとか頑張って、簡単にでも大事な所を書きたい。

このアニメを見て「なんだかわからん」と思った方には、私の体験から「こういう選択肢もある」ということを記しておきたい。まず、ウィキペディアを2回読む。1回じゃ無理だ。日を置いてもう一回読んで、ようやく「そこに何が書かれているのか」が「わかったような気がする」。ところがまだ、わかってない。この時点で最初からアニメを視聴する。そうすると、間違いは多々あるが自分なりに「これはこういうシーンなんだ」というのが見える「ような気になる」。ほんとはまだ間違いがある。それを正してくれるのが「あにこ便」のツイートだ。このツイートは2つの意味で絶対必要だ。

1つめの意味。これがないとアニメ(ゲーム)の世界観が理解できない。逆に言ったほうがいい。これがあると、アニメの世界観がわかる。ゲーム体験済みの人々のツイートによる説明で、色々わかる。その中には私がウィキペディアで読んで「うんうん、そうだ」と思うものもあれば、私が勘違いしていて「そういう世界観だったのか」と思い、あらためてウィキペディアを読み直すものもある。

2つめの意味。いわばこれがこの記事の『流出位階』だ。原作ゲームを知らず、ただウィキペディアを読んだだけでこのアニメを見始めた私のような人間にとって、何が一番楽しいか。それは「あにこ便」のツイートだ。いちばんわかりやすい例を出せば、わかる人にはわかる。それは、シュピーネさんだ!!全部で(現世にいるかどうかは問わず)13人いるらしい敵の中では明らかに下位で、アニメの中でも最初に『スワスチカ』送りになったのに、それ以前、1カットだけこの人が出た時点でもうツイートは「シュピーネさん」「シュピーネさん」。その人気が能力のレベルにあるのでないことは明らか。強さでもない。イケメンでもない。それなのに「シュピーネさん」「シュピーネさんが動いた」この絶大なる人気!!

私はこの時ほどコメントを見て楽しかったことはない。

最後に、せっかく酔っぱらっているのだから、こういう時しか書けないアニメへの不満も書きたい。主人公が今までに敵と戦ってかっこよく勝ったのは1回だけではないか。あの対シュピーネさんの回。その後、獣殿の前で圧倒的な実力差にもかかわらず善戦したというのはあるが、第10話まで来てこれだけか。主人公として少なすぎないか。もちろん、何も知らない若者だった主人公が自分の本来のポテンシャルと敵からの刺激で急速にその能力を上げてゆくという話は聞き知っている。でも、あと2回で地上波組はサヨナラなんだ。その後はたぶん、有料でWebだろう。リストラおじさんの私は最近のフロス3回連続購入で参ってるほどだ。有料はサヨナラになる。主人公が今の強さのままでサヨナラは寂しいよ。

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