人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(28) [人生補完計画]
前回は完全にシリアス路線の記事だったので、今回はちょっと息抜きをして気楽に楽しく行こう。
カセットテープ音声のデジタル化をしていて再発見や新発見をした曲がある。私としては、ぜひとも皆さんとその思いを共有したい。
最初の曲は、今回の記事をどうしても書かねばと私が思うきっかけになった「ある意味最強」の曲。あっあっあなたをぉ~、アッと言わせーるゾッ!
http://www.youtube.com/watch?v=Ti4ksDzWTOo
すげえ!ものすげえ!何度見てもすげえ!この曲を語るのに言葉は要らない。解説なんか無くても見ればすべてが伝わるぞ。
1か月以上前にピッチ調整のために検索した時には皆さんの楽しいコメントがあったのに、それが見つからない。「あっと言わされました」とか、「すべてが間違っているのになぜか聴いて元気をもらえる」とか、そんな感じの必見のコメントだったんだが。
これはやっぱり映像つきで見なきゃ駄目だけど、映像は最後が切れている。歌の全長版はこちら(音声のみ)。
http://www.youtube.com/watch?v=L3FoCxwCCrU
この歌手は、デビュー当時は全然違うイメージで売り出したそうだ。私自身「イニシャルは夏」や「赤い靴」を、同じ歌手と知らずにFMエアチェックで見つけて録っていた。その後イメージチェンジして、最後にコレになったという。ご存じなくて知りたい方は「新井薫子」(それに加えて曲名)でネット検索すれば色々読める。
あーすごかった。「ある意味最強」だろ?私はこの動画を何度見たことか。これからも見るだろう。これを超えるモノは暫く出てきそうにない。他の曲が霞んで見えるぜ。
次、行ってみよう。
上の曲を検索している最中に、私の知らなかった曲を見つけた。これは相当気に入っている。月島きらり starring 久住小春の「こんにちぱ」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=kbysDlP-VIU
月島きらりというのは、ユニークな絵柄の少女向けアニメのヒロインだ。私はおじさんなので結局見なかったけど、放送開始時に他の新番組と一緒にチェックしたので存在は知っていた。久住小春というのは、ネット言葉でいうところの「中の人」らしい。でもってモーニング娘。だったそうだ。
国語の先生の中には、この曲の歌詞に顔をしかめる人もいるかもしれない。でも私は、この歌詞はそんなに崩れた日本語ではないと思い、国語の先生には温かく無言で見守ってもらいたい。今どき、「こんにちは」でなく「こんにちわ」と書く人が多い。そう書く人には、「まる」を付けて「こんにちぱ」という発想が生まれない。この歌詞はちゃんと「こんにちは」が前提で書かれている。私に言わせれば、今のご時世で、この歌詞は結構立派だ。
さて、3曲目は普通のアイドル曲だ。歌手もさらに有名。三田寛子「夏の雫」。
http://www.youtube.com/watch?v=ItFFLj8k_xg
数か月前までは、水着姿で歌っている動画があった。でも権利者の怒りを買って消えてしまったようだ。残念だけど、権利者は絶対だからどうしようもない。消される前に私がDLしたかというと、してない。当時私はカセットテープ音声のデジタル化にすべてを賭けていた。その他のものは全部犠牲にしていいからデジタル化がうまく行きますようにと本気で祈った。その祈りは通じた。デジタル化はうまく行った。その代償として三田寛子ちゃんの水着姿は永遠に消えた。
閑話休題。この曲の歌詞って、なんか不思議だ。
どうしたらいいの 海になれない 私は雫
海になりたいの?人間が海に?と思っていると
クミ・アンド・ルミ
海の少女とあなたは今頃love and love
なんか知らない少女が2人出てきた。クミとルミ?ははぁーん。そういうことか。そして今度は
ユミ・アンド・フミ
海の少女は陽気にはしゃぐわkiss and kiss
不思議な曲だ。ここ以外の歌詞は当時のアイドル曲にお約束の刺激的な表現がほとんどだけど。ヒロインの女の子には好きな男の子がいて、この男の子は、クミとかルミとか、ユミとかフミと一緒に遊んでる。でもヒロインは気おくれして一緒に遊べない。なぜならヒロインの名前は雫ちゃんで、名前の最後にミが付いてないから。ウミだったら良かったのに。でも私は雫。
片思いのシチュエーションに、ユニークな言葉遊びを織り交ぜているんだろうな。
4曲目は、ピッチ調整で私をもっとも悩ませた張本人の曲。音が上がったり下がったり、どこに合わせようかと困らされた。
川田あつ子「秘密のオルゴール」
と思ったら、動画はどこへ行ったんだ。YouTubeに見つからない。ようつべじゃなかったんだろうか?まさか私の知らないうちに権利者の怒りに触れたのか?残念だが権利者は絶対だ。これに抗うすべはない。蛇足だがもうひとつ書いておこう。数か月前までは三田寛子ちゃんだけでなく川田あつ子ちゃんが水着姿で歌っている「秘密のオルゴール」もあった。私はこれもDLしていない。デジタル化がうまく行った代償として川田あつ子ちゃんの水着姿も永遠に消えた。
それはともかく、今残っている動画は2つだけらしい。まだこの曲を聴いた事のない方は、まず心の準備をしたほうがいい。何があっても動揺しないと自分に言い聞かせてから聴いてほしい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8967607
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7734500
この曲は、ある特定の条件の下では、「幻の名曲」のひとつと言える。その条件とは、「歌手に歌ってもらわずに作詞・作曲・編曲の楽譜だけ見る」という条件だ。先に動画を見て・聴いてしまったら気持ちの切り替えが難しいかもしれないが、試してみてほしい。作詞・作曲・編曲は当時のアイドル曲として相当な高水準だと気づくはずだ。この曲が入っている私のカセットテープ、通し番号72番は、私にとってこの時期最高の曲だけを集めた特別なカセットだ。それと、レコード録音はライブよりも歌手の音程の不安定さが少しだけ少ない。きっと、レコーディング時に何度もNGを出して周囲を困らせながらやっと録れた、歌手本人にとって会心の出来に違いないと私は確信している。ライブ動画のほうは、き、聞くに堪えないが・・・。
最後、5曲目。
幻の名曲といえば、当時の歌謡界に多くの人が認める「幻の曲」があったようだ。これはアイドルソングではない。その時期の私はもっぱらFMから曲を落とし、歌謡界の情報をなんにも得ていなかったので、そのへんの事情は何も知らずにただ曲だけを保存していた。今回デジタル化にさいしてYouTubeなどを調べて初めて事情を知った次第だ。
磨香「冬の華」
http://www.youtube.com/watch?v=WAgXyMKhTh0
この曲は、どこが良いのかと言葉で説明する必要がないだろう。それより一度聴けばいい。一度聴けば、耳に、心に、歌声が染みついて離れない。技術的にどこがどうのというより、心に直接響いてくるタイプの良さだ。
YouTubeのコメントで、最初は中島みゆきさんかと思いましたと書いている方がいらっしゃる。なるほど。でも私という人間は歳をとって色んな事を言葉で表現する嫌な人間になってしまったので、少し嫌な事を書かせてもらうと、やはり中島みゆきとは違う。中島みゆきの歌は、私のイメージとしては、直球で真っ向勝負。小手先の技巧に堕すことのないストレートで骨太な表現が聴き手の心を文句なしにつかまえる。ストレートだから曲が言いたい事やイメージがはっきり聴き手に伝わる。いっぽうこの曲は、聴いていて「あれ?」と思う瞬間がある。場面を想像しにくい。砂漠って、どこだろう。アジアの砂漠を想像したら良いのか、アフリカか。それによって街のイメージも、鐘の音も違ってくる。それから、小手先の技巧を感じる。絵画で言うところのコラージュを感じる。「我が心に」と喋る人のイメージと、花に「毎日涙をあげるから」と喋る人のイメージはまるで別人だ。「お花にお水をあげる」と表現するのは比較的若い女性だ。うちの母ほど歳をとると「水をかける」とか言いかねない。男なら本来の表現である「水を遣る」を使う。でも若い女性のイメージとして「我が心」とは言わない。ひょっとすると作詞者の心の中には、まだ完全に熟し切っていないが推敲次第で良い歌詞へと変貌しうるダイヤの原石のようなイメージが複数あって、もしも経験を積んだプロならば切り捨てるべき所を潔く切り捨てるなどして完成させる所が、まだ若くこれから経験を積んでゆく作詞者は自分の曲への強い思いと共にそのまま出すしかなかったのかもしれない。と、嫌な人間である私は言うが、これは結局私が悪い。だって、ようやく音楽界に向けて第一歩を踏み出した若者と天下の中島みゆきを同列に比較して論じたら、それは論じた人間が悪い。私が間違っている。(情報修正あり。コメントに。)
それに私はどうしても認めるしかない事がある。場面を想像しにくくても、コラージュの印象があっても、それでもこの曲を聴くと耳に、心に、歌声が染みついて離れない。それが現実なんだ。それがどうしてかは私にはとうとう分析できなかった。この曲には聴き手に強く訴えかける魂があるとしか表現できない。
この磨香という人は、当時高校生だったという。そしてこの1曲(とレコードのB面の曲)だけを残して去って行ったという。今どうしているのかは知る由もないし、我々が知らなくて良い事だろう。私としては、この人がその後音楽を続けたとしても、続けなかったとしても、それはどちらでも良いから、自分自身満足のゆく人生を歩んで今に至っている事だけを望む。不思議なご縁でこうして曲を通じて出会えたのだから、せめてそれだけ、望ませてもらいたい。
あと、ぜひ皆さんにお薦めしたいサイトがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/idobata_heppoko/4361208.html
を読むと磨香のことが色々わかる。そしてこのページの中に、「猫手借舞」というサイトへのリンクがある。猫手借舞バンドの方がポプコン予選で磨香に出会った時の話が読めるのだが、この文章が独特の味わいがあって良い。私は磨香について知りたくて猫手借舞のサイトへ行ったのは事実だけれども、文章を読むうちにその味わいが好きになって、猫手借舞のサイトに出会えた事自体が良かったと思うようになった。だから皆さんにもお薦めしたい。
これで今回の記事はおしまいだ。この後には、あらかじめ書いておいた大竹しのぶの曲の記事が続くが、今回のメインはここまでだ。
カセットテープのピッチを合わせるためにネット上で同じ曲を探すと、相反する2つの結果に出会う。時には、長い年月を経てもほとんどの曲がネット上で見つかる事に驚く。しかし時には、どんなに探してもついにネット上に情報がひとつも見つからない曲がある事に驚く。普通は曲そのものがなくても曲名くらいはどこかに書き込みがあるが、それすらない。たとえば大竹しのぶの2曲。私は毎度FMエアチェックで(たいていは「昼の歌謡曲」だったと思うが)曲を手に入れていたので、大竹しのぶも新聞のラジオ欄で見つけて録音したに違いない。彼女の曲の中では、童話調の曲がとくに気に入った。ところがこれの情報がネット上にまったくない。童話調でない曲は情報がある。「みかん」や「電話帳パラパラ」は動画共有サイトで聴くことさえできる。「白鳥を見たことがありますか」は聴けないけれどもネット上に情報があり、CD化された事がわかった。ところが「キンポウゲの日々」と「丘の上の風」は、まるでそんな曲は彼女が歌わなかったかのように一切の情報がない。上記CDにも入っていない。YouTubeにある同名の「キンポウゲの日々」は別の曲だ。大竹しのぶが歌っているのはアン(ひょっとして赤毛のアン?)の歌。「丘の上の風」は、風がどこから吹いてきて、風がどこへ吹いてゆくかという歌。仮に彼女のオリジナル曲でないとしても、曲そのものの情報がネット上にあって良いのに。
私は自分のカセットテープに入っている曲をネット上で探す事で、自分が過去に録音したものがどれだけ貴重かをかみしめる事ができる。中には、お金を払ってももう手に入れられないものだってあるのだから。
カセットテープ音声のデジタル化をしていて再発見や新発見をした曲がある。私としては、ぜひとも皆さんとその思いを共有したい。
最初の曲は、今回の記事をどうしても書かねばと私が思うきっかけになった「ある意味最強」の曲。あっあっあなたをぉ~、アッと言わせーるゾッ!
http://www.youtube.com/watch?v=Ti4ksDzWTOo
すげえ!ものすげえ!何度見てもすげえ!この曲を語るのに言葉は要らない。解説なんか無くても見ればすべてが伝わるぞ。
1か月以上前にピッチ調整のために検索した時には皆さんの楽しいコメントがあったのに、それが見つからない。「あっと言わされました」とか、「すべてが間違っているのになぜか聴いて元気をもらえる」とか、そんな感じの必見のコメントだったんだが。
これはやっぱり映像つきで見なきゃ駄目だけど、映像は最後が切れている。歌の全長版はこちら(音声のみ)。
http://www.youtube.com/watch?v=L3FoCxwCCrU
この歌手は、デビュー当時は全然違うイメージで売り出したそうだ。私自身「イニシャルは夏」や「赤い靴」を、同じ歌手と知らずにFMエアチェックで見つけて録っていた。その後イメージチェンジして、最後にコレになったという。ご存じなくて知りたい方は「新井薫子」(それに加えて曲名)でネット検索すれば色々読める。
あーすごかった。「ある意味最強」だろ?私はこの動画を何度見たことか。これからも見るだろう。これを超えるモノは暫く出てきそうにない。他の曲が霞んで見えるぜ。
次、行ってみよう。
上の曲を検索している最中に、私の知らなかった曲を見つけた。これは相当気に入っている。月島きらり starring 久住小春の「こんにちぱ」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=kbysDlP-VIU
月島きらりというのは、ユニークな絵柄の少女向けアニメのヒロインだ。私はおじさんなので結局見なかったけど、放送開始時に他の新番組と一緒にチェックしたので存在は知っていた。久住小春というのは、ネット言葉でいうところの「中の人」らしい。でもってモーニング娘。だったそうだ。
国語の先生の中には、この曲の歌詞に顔をしかめる人もいるかもしれない。でも私は、この歌詞はそんなに崩れた日本語ではないと思い、国語の先生には温かく無言で見守ってもらいたい。今どき、「こんにちは」でなく「こんにちわ」と書く人が多い。そう書く人には、「まる」を付けて「こんにちぱ」という発想が生まれない。この歌詞はちゃんと「こんにちは」が前提で書かれている。私に言わせれば、今のご時世で、この歌詞は結構立派だ。
さて、3曲目は普通のアイドル曲だ。歌手もさらに有名。三田寛子「夏の雫」。
http://www.youtube.com/watch?v=ItFFLj8k_xg
数か月前までは、水着姿で歌っている動画があった。でも権利者の怒りを買って消えてしまったようだ。残念だけど、権利者は絶対だからどうしようもない。消される前に私がDLしたかというと、してない。当時私はカセットテープ音声のデジタル化にすべてを賭けていた。その他のものは全部犠牲にしていいからデジタル化がうまく行きますようにと本気で祈った。その祈りは通じた。デジタル化はうまく行った。その代償として三田寛子ちゃんの水着姿は永遠に消えた。
閑話休題。この曲の歌詞って、なんか不思議だ。
どうしたらいいの 海になれない 私は雫
海になりたいの?人間が海に?と思っていると
クミ・アンド・ルミ
海の少女とあなたは今頃love and love
なんか知らない少女が2人出てきた。クミとルミ?ははぁーん。そういうことか。そして今度は
ユミ・アンド・フミ
海の少女は陽気にはしゃぐわkiss and kiss
不思議な曲だ。ここ以外の歌詞は当時のアイドル曲にお約束の刺激的な表現がほとんどだけど。ヒロインの女の子には好きな男の子がいて、この男の子は、クミとかルミとか、ユミとかフミと一緒に遊んでる。でもヒロインは気おくれして一緒に遊べない。なぜならヒロインの名前は雫ちゃんで、名前の最後にミが付いてないから。ウミだったら良かったのに。でも私は雫。
片思いのシチュエーションに、ユニークな言葉遊びを織り交ぜているんだろうな。
4曲目は、ピッチ調整で私をもっとも悩ませた張本人の曲。音が上がったり下がったり、どこに合わせようかと困らされた。
川田あつ子「秘密のオルゴール」
と思ったら、動画はどこへ行ったんだ。YouTubeに見つからない。ようつべじゃなかったんだろうか?まさか私の知らないうちに権利者の怒りに触れたのか?残念だが権利者は絶対だ。これに抗うすべはない。蛇足だがもうひとつ書いておこう。数か月前までは三田寛子ちゃんだけでなく川田あつ子ちゃんが水着姿で歌っている「秘密のオルゴール」もあった。私はこれもDLしていない。デジタル化がうまく行った代償として川田あつ子ちゃんの水着姿も永遠に消えた。
それはともかく、今残っている動画は2つだけらしい。まだこの曲を聴いた事のない方は、まず心の準備をしたほうがいい。何があっても動揺しないと自分に言い聞かせてから聴いてほしい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8967607
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7734500
この曲は、ある特定の条件の下では、「幻の名曲」のひとつと言える。その条件とは、「歌手に歌ってもらわずに作詞・作曲・編曲の楽譜だけ見る」という条件だ。先に動画を見て・聴いてしまったら気持ちの切り替えが難しいかもしれないが、試してみてほしい。作詞・作曲・編曲は当時のアイドル曲として相当な高水準だと気づくはずだ。この曲が入っている私のカセットテープ、通し番号72番は、私にとってこの時期最高の曲だけを集めた特別なカセットだ。それと、レコード録音はライブよりも歌手の音程の不安定さが少しだけ少ない。きっと、レコーディング時に何度もNGを出して周囲を困らせながらやっと録れた、歌手本人にとって会心の出来に違いないと私は確信している。ライブ動画のほうは、き、聞くに堪えないが・・・。
最後、5曲目。
幻の名曲といえば、当時の歌謡界に多くの人が認める「幻の曲」があったようだ。これはアイドルソングではない。その時期の私はもっぱらFMから曲を落とし、歌謡界の情報をなんにも得ていなかったので、そのへんの事情は何も知らずにただ曲だけを保存していた。今回デジタル化にさいしてYouTubeなどを調べて初めて事情を知った次第だ。
磨香「冬の華」
http://www.youtube.com/watch?v=WAgXyMKhTh0
この曲は、どこが良いのかと言葉で説明する必要がないだろう。それより一度聴けばいい。一度聴けば、耳に、心に、歌声が染みついて離れない。技術的にどこがどうのというより、心に直接響いてくるタイプの良さだ。
YouTubeのコメントで、最初は中島みゆきさんかと思いましたと書いている方がいらっしゃる。なるほど。でも私という人間は歳をとって色んな事を言葉で表現する嫌な人間になってしまったので、少し嫌な事を書かせてもらうと、やはり中島みゆきとは違う。中島みゆきの歌は、私のイメージとしては、直球で真っ向勝負。小手先の技巧に堕すことのないストレートで骨太な表現が聴き手の心を文句なしにつかまえる。ストレートだから曲が言いたい事やイメージがはっきり聴き手に伝わる。いっぽうこの曲は、聴いていて「あれ?」と思う瞬間がある。場面を想像しにくい。砂漠って、どこだろう。アジアの砂漠を想像したら良いのか、アフリカか。それによって街のイメージも、鐘の音も違ってくる。それから、小手先の技巧を感じる。絵画で言うところのコラージュを感じる。「我が心に」と喋る人のイメージと、花に「毎日涙をあげるから」と喋る人のイメージはまるで別人だ。「お花にお水をあげる」と表現するのは比較的若い女性だ。うちの母ほど歳をとると「水をかける」とか言いかねない。男なら本来の表現である「水を遣る」を使う。でも若い女性のイメージとして「我が心」とは言わない。ひょっとすると作詞者の心の中には、まだ完全に熟し切っていないが推敲次第で良い歌詞へと変貌しうるダイヤの原石のようなイメージが複数あって、もしも経験を積んだプロならば切り捨てるべき所を潔く切り捨てるなどして完成させる所が、まだ若くこれから経験を積んでゆく作詞者は自分の曲への強い思いと共にそのまま出すしかなかったのかもしれない。と、嫌な人間である私は言うが、これは結局私が悪い。だって、ようやく音楽界に向けて第一歩を踏み出した若者と天下の中島みゆきを同列に比較して論じたら、それは論じた人間が悪い。私が間違っている。(情報修正あり。コメントに。)
それに私はどうしても認めるしかない事がある。場面を想像しにくくても、コラージュの印象があっても、それでもこの曲を聴くと耳に、心に、歌声が染みついて離れない。それが現実なんだ。それがどうしてかは私にはとうとう分析できなかった。この曲には聴き手に強く訴えかける魂があるとしか表現できない。
この磨香という人は、当時高校生だったという。そしてこの1曲(とレコードのB面の曲)だけを残して去って行ったという。今どうしているのかは知る由もないし、我々が知らなくて良い事だろう。私としては、この人がその後音楽を続けたとしても、続けなかったとしても、それはどちらでも良いから、自分自身満足のゆく人生を歩んで今に至っている事だけを望む。不思議なご縁でこうして曲を通じて出会えたのだから、せめてそれだけ、望ませてもらいたい。
あと、ぜひ皆さんにお薦めしたいサイトがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/idobata_heppoko/4361208.html
を読むと磨香のことが色々わかる。そしてこのページの中に、「猫手借舞」というサイトへのリンクがある。猫手借舞バンドの方がポプコン予選で磨香に出会った時の話が読めるのだが、この文章が独特の味わいがあって良い。私は磨香について知りたくて猫手借舞のサイトへ行ったのは事実だけれども、文章を読むうちにその味わいが好きになって、猫手借舞のサイトに出会えた事自体が良かったと思うようになった。だから皆さんにもお薦めしたい。
これで今回の記事はおしまいだ。この後には、あらかじめ書いておいた大竹しのぶの曲の記事が続くが、今回のメインはここまでだ。
カセットテープのピッチを合わせるためにネット上で同じ曲を探すと、相反する2つの結果に出会う。時には、長い年月を経てもほとんどの曲がネット上で見つかる事に驚く。しかし時には、どんなに探してもついにネット上に情報がひとつも見つからない曲がある事に驚く。普通は曲そのものがなくても曲名くらいはどこかに書き込みがあるが、それすらない。たとえば大竹しのぶの2曲。私は毎度FMエアチェックで(たいていは「昼の歌謡曲」だったと思うが)曲を手に入れていたので、大竹しのぶも新聞のラジオ欄で見つけて録音したに違いない。彼女の曲の中では、童話調の曲がとくに気に入った。ところがこれの情報がネット上にまったくない。童話調でない曲は情報がある。「みかん」や「電話帳パラパラ」は動画共有サイトで聴くことさえできる。「白鳥を見たことがありますか」は聴けないけれどもネット上に情報があり、CD化された事がわかった。ところが「キンポウゲの日々」と「丘の上の風」は、まるでそんな曲は彼女が歌わなかったかのように一切の情報がない。上記CDにも入っていない。YouTubeにある同名の「キンポウゲの日々」は別の曲だ。大竹しのぶが歌っているのはアン(ひょっとして赤毛のアン?)の歌。「丘の上の風」は、風がどこから吹いてきて、風がどこへ吹いてゆくかという歌。仮に彼女のオリジナル曲でないとしても、曲そのものの情報がネット上にあって良いのに。
私は自分のカセットテープに入っている曲をネット上で探す事で、自分が過去に録音したものがどれだけ貴重かをかみしめる事ができる。中には、お金を払ってももう手に入れられないものだってあるのだから。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(27) [人生補完計画]
個人的な話になる。松田聖子などのアイドル歌手時代に青春を生きた私は、そういうアイドルの曲をたくさんカセットテープに録音した。でもその中に、特別な曲というのがある。たとえば「ひとりぼっちは嫌い」という曲がそれだ。
http://www.youtube.com/watch?v=6iQAZXd5S0I
私の大事なカセットテープには、ほぼ時期順に通し番号を付けてある。その88番のB面には、
河上幸恵「ブルー・エトランゼ」
荻野目慶子「愛のオーロラ」
柏原芳恵「タイニー・メモリー」
石川ひとみ「恋」
飯島真理「きっと言える」
松本伊代「時に愛は」
などの曲が入っている。どれもいい曲だ。でも特別な曲というのはこれではない。上のすべての曲が終わった後、テープは沈黙する。事情を知らない人が聴いたなら、これで録音は終わったと思うだろう。それだけ長い間、テープは沈黙する。私はその間に今までの曲の印象を頭から払拭し、頭をからっぽにし、ヘッドホンを両側から頭に押さえつけて外界の一切をシャットアウトし、これから来る体験に全神経を集中する。これが、若き日の私の、この曲を聴く時の「儀式」だった。他の曲から切り離された最後の1曲は、同じテープの上にあってもsecret sectionであり、私に特別な思いを運んでくれた。
今の私は年老いて、すべてを言葉にしたがる。このアイドル歌手の曲は、メロディーも、歌詞も、歌声も、すべて良いと。でもそれはきっと間違っている。言葉にすれば全ては陳腐になる。きっと言葉は要らない。子供の頃の私は言葉になんかしなかった。そのかわりに、他の曲から切り離して儀式めいた聴き方をすることで、自分の思いをちゃんと主張していた。
でも今の私はやはり年老いたので、このブログでは言葉で表現してしまう。
あと、当時の私はすべての歌謡曲を「作品内在的」に鑑賞していた。つまり、この歌手の歌だからとか、この作詞家の詩だからとか、この作曲家のメロディーだからとか、全部ない。私のカセットテープのインデックスには、歌手名はおろか曲名すら書いていない曲というのがざらにある。誰の作?というのをわざと聞かないようにしていた。それも悪くないんじゃないか。だって、人は何を聴くつもりなんだ。歌手を聴くのか?作詞家を?作曲家を?違うと思う。曲を聴くんだと思う。
それでは、「ひとりぼっちは嫌い」の話に入りたい。この曲の「群を抜いてすごい」所は、イントロと歌い出しから聴き手の心をギュッと掴む事だ。まず歌詞だが、
心がシュンとした日には
胡桃色した風の中
背中をキュッと弓なりに
流れる雲を数えるわ
ひとりぼっちは嫌い
「シュン」「キュッ」そしてこの後も、擬音の使用が特徴的だ。擬音の多用は、万一失敗した場合には歌詞を変にしてしまうかもしれない。しかし作詞者はそれを恐れず、それどころかあえて積極的に使って成功している。擬音が歌詞にこの歌一流の「生き生きとした引き締まり」を与え、気がつくと聴き手は一瞬のうちに「言霊」に心を掴まれている。
でも思えばこの効果も、「完璧な心配りのある」心憎いメロディーなしでは生まれなかっただろう。この歌は歌詞から考えて失恋の歌だ。世に失恋の歌は多い。伊藤つかさ「涙のクレッシェンド」みたいに、歌詞もメロディーも悲しみにどっぷり浸かっているのが失恋の当たり前だけど、「表現のしかたはそれが全てじゃないよ」とこの曲が教えてくれる。編曲を含めてこの曲のメロディーを振り返れば、イントロではかすかに哀愁を含みつつ音階を下降するストリングスが、その直後に急上昇して、まるで広大な空を見上げるかのような大きさを感じる。歌詞が意図する所は、時代は違うが坂本九の「上を向いて歩こう」と一脈通じるものがある。心の中には悲しみが・・・でも上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。上を向けば、目の前には広大な空が開けているはずだ。そしてこの曲の歌手は歌う、(涙がこぼれないように上を向いて)広大な空に「流れる雲を数えるわ」と。
昔から作品内在的に鑑賞する私は、歌手名をここで挙げる気がない。当時何歳の若さだったか、期待の新人だったのにと言うつもりもない。そのかわりに、私は称賛する。何歳であろうと、期待されていようとなかろうと、それが何だというのだ。オリコンのトップ100に入らなかった事が、どうしたというのだ。この歌声の良さが、わかる人には、わかっているのだろう?だったらそれで良いじゃないか。
当時のアイドル歌手の中には、極端な例を挙げれば聴いていて苦笑するほど音程がふらつくアイドルもいた。でもこの歌手はそれとは無縁だ。正しい音程、安定した声量、聴いていて美しいと思う声の生命力。・・・うーん、どうしても言葉にすると陳腐になる。ようするに私はこれが好きだ。認めている。
さて、この後の部分では、私は歌詞を批判しなければならない。いや、私としては、曲の冒頭であれほどのインパクトを与えたのと同じ作詞者の書いたものかと不思議でならない。それほど月並みでどこにでもありそうな数行が続く。
とりあえず もう会えないと
自分には 言い聞かせたの
勝手よね ひとりよがりに
好きだった それだけのこと
上記の部分は、ヒロインと相手との関係がどんなものなのか、片思いを歌っているんだという事を聴き手に知らせる。それは必要な事だ。事情が飲み込めて初めて聴き手は感情移入できる。そういう必要な部分だから、この部分が月並みな表現になっても仕方がないかもしれない。問題は次だ。
遠い町へと消えた人
訪ねて来いと言ったきり
後はもう梨のつぶてね
私は上の部分が、初めて聴いた時からずっとわからなかった。何を言っているんだろうという疑問が頭の中に浮かぶ。でも私の側にも問題点があった。私は歌詞カードを持っていない。FMエアチェックでたまたま見つけて録音した曲だ。だから歌詞は、聞いて認識するしかない。「消えた人」の後で音を引っぱりつつ落とすので、私にはずっと「消えた人を」と聞こえていた。そうすると意味が全然わからなくなる。ヒロインAさんには好きな人Bくんがいる。Bくんが「遠い町へと消えた人(C)を訪ねて来い」と言う。Bくんはその後、梨のつぶてで帰って来ない。これでは、「Cって一体誰?」という事になり、歌詞が意味をなさない。だから私は「消えた人を」でなく「消えた人」(体言止め)なのだと気づいた。つまりBくん自身が「遠い町へと消えた人」であり、そのBくんが「(自分を)訪ねて来い」と言ったが、その後は音沙汰ない。これなら意味が通る。でもこれだと、今度は内容が希薄すぎる。Bくんは自分を訪ねて来いと言って去ったのだから、今度はAさんが訪ねて行く番じゃないか。でもAさんはそれが出来ず、自分からチャンスを捨てている。現実にそんな人もいるかもしれない。でも話のプロットとしては希薄すぎる。
片思いだった。相手が遠くへ行った。そして会えなくなったというのなら、例えば「卒業しても白い喫茶店 今まで通りに会えますねと 君の話は何だったのと 聞かれるまでは言う気でした」という曲がある。場面を想像するだけでもらい泣きしそうな歌詞だ。我々はそういう曲をいくつも聴いて育った世代なので、相手は会いに来いと言ってくれるけど片思いだから行かないというのは、訴えかけるものが薄すぎる。
こうして私の場合、上記の部分を頭の中に一抹のもやもやを抱えたまま聴くことになるが、その直後またあのインパクトが蘇る!
心がシュンとした日には
窓から電話放りたい
涙がピッと滲む日は
ポストも口を閉じたまま
ひとりぼっちは嫌い
擬音の効果はもう書いたが、ここではまた別の事がある。曲のヒロインは「窓から電話放りたい」と言っている。平成の世に生きる我々は、ともすれば感覚が鈍り、この歌詞の本当のすごさを見過ごすかもしれない。正確を期すために、私は日本語版ウィキペディアで日本における携帯電話の歴史を調べた。それによると、日本に携帯電話機が初めて登場したのは1985年(しかもそれはまだハンディータイプでないショルダーホン)となっている。またコードレス電話が急速に普及したのは1987年の販売自由化以降だという。いっぽうこの曲の発売は1983年。つまり曲の中の電話は、現在の我々が普通に電話と聞いて思い出す、軽くて片手で持てるサイズの携帯電話ではない。コードレス電話の子機でもない。家の壁とコードでつながれ、片手では持てない大きさの「家庭電話」だ。ヒロインはそれを無理やり窓から投げ捨てようという衝動にかられている。だからこそこの歌詞はすごい。
涙は「ジワッ」と滲まない。「ピッ」と滲む。私は先に書いた。この作詞者は擬音を恐れずに使っていると。ここは「ジワッ」ではいけないのだ。「ピッ」と滲まなければいけない。それでこそ、この歌一流の「生き生きとした引き締まり」が生まれる。その擬音が日本語の使用として適切かといった御託をスッパリと切り捨て、漫画やアニメに出てきそうな涙の出方を堂々と選択した作詞者の潔さは、ここでも成功している。
この曲に出てくるポストには口がある。その口は開いたり閉じたりする。今日はポストが口を閉じている。まるでポストには口の他に目や鼻までありそうな表現だ。涙の出方と共にコミカルで楽しい。そして、事象を散文的に表現すれば「電話も手紙も来なくて悲しい」で終わってしまう所が、こんなにも魅力的になっている。
この後、また月並みな数行が続く。けっして悪くはない。でも、どこにでもありそうな表現。再度言ってしまうが、同じ作詞家先生の書いた行とは思えない。だがこれで終わらないのがこの曲の嬉しい所だ。まるで寄せては返す波のようにインパクトと月並みが交互に現れ、最後にまたインパクトが。しかもなんと、突然ここで転調するのだ!一般的には、転調して高くなった音は高揚を表現し、クライマックスへの上昇を表現する。でもこの曲では、それだけだろうか?ここまで切々と歌ってきた末に、転調して音を上げ、最後の部分に入る。それはもしや、今までの比較的明るいメロディーの裏に隠れていたヒロインの心の叫びではないだろうか。この曲の作曲者はすべてを察し、細かな心配りを忘れない。歌詞の「ハンカチぎゅっと絞るほど」の「ぎゅっと」は今までの同じメロディーで進行した2回とは違い、今度は音が上がる。まるで曲中のヒロインの涙の思いを表現するかのように。そして「もう思いきり泣きたいの」。この後、歌の最後にかぶる形で伴奏は、(1番の歌詞から続く)広大な空を想起させる曲想から転じて、ヒロインの本当の心の内を垣間見せる不安な音を数フレーズだけ奏でる。そして収束。この作曲者と編曲者、最後の最後まで聴く者の期待を裏切らない。
もしもクラシック等のステータスのあるジャンルでなくても「名曲」という表現をして構わないなら、当時のアイドル歌謡曲の中でこの一曲を名曲と言わずして何が名曲だろう?
http://www.youtube.com/watch?v=6iQAZXd5S0I
私の大事なカセットテープには、ほぼ時期順に通し番号を付けてある。その88番のB面には、
河上幸恵「ブルー・エトランゼ」
荻野目慶子「愛のオーロラ」
柏原芳恵「タイニー・メモリー」
石川ひとみ「恋」
飯島真理「きっと言える」
松本伊代「時に愛は」
などの曲が入っている。どれもいい曲だ。でも特別な曲というのはこれではない。上のすべての曲が終わった後、テープは沈黙する。事情を知らない人が聴いたなら、これで録音は終わったと思うだろう。それだけ長い間、テープは沈黙する。私はその間に今までの曲の印象を頭から払拭し、頭をからっぽにし、ヘッドホンを両側から頭に押さえつけて外界の一切をシャットアウトし、これから来る体験に全神経を集中する。これが、若き日の私の、この曲を聴く時の「儀式」だった。他の曲から切り離された最後の1曲は、同じテープの上にあってもsecret sectionであり、私に特別な思いを運んでくれた。
今の私は年老いて、すべてを言葉にしたがる。このアイドル歌手の曲は、メロディーも、歌詞も、歌声も、すべて良いと。でもそれはきっと間違っている。言葉にすれば全ては陳腐になる。きっと言葉は要らない。子供の頃の私は言葉になんかしなかった。そのかわりに、他の曲から切り離して儀式めいた聴き方をすることで、自分の思いをちゃんと主張していた。
でも今の私はやはり年老いたので、このブログでは言葉で表現してしまう。
あと、当時の私はすべての歌謡曲を「作品内在的」に鑑賞していた。つまり、この歌手の歌だからとか、この作詞家の詩だからとか、この作曲家のメロディーだからとか、全部ない。私のカセットテープのインデックスには、歌手名はおろか曲名すら書いていない曲というのがざらにある。誰の作?というのをわざと聞かないようにしていた。それも悪くないんじゃないか。だって、人は何を聴くつもりなんだ。歌手を聴くのか?作詞家を?作曲家を?違うと思う。曲を聴くんだと思う。
それでは、「ひとりぼっちは嫌い」の話に入りたい。この曲の「群を抜いてすごい」所は、イントロと歌い出しから聴き手の心をギュッと掴む事だ。まず歌詞だが、
心がシュンとした日には
胡桃色した風の中
背中をキュッと弓なりに
流れる雲を数えるわ
ひとりぼっちは嫌い
「シュン」「キュッ」そしてこの後も、擬音の使用が特徴的だ。擬音の多用は、万一失敗した場合には歌詞を変にしてしまうかもしれない。しかし作詞者はそれを恐れず、それどころかあえて積極的に使って成功している。擬音が歌詞にこの歌一流の「生き生きとした引き締まり」を与え、気がつくと聴き手は一瞬のうちに「言霊」に心を掴まれている。
でも思えばこの効果も、「完璧な心配りのある」心憎いメロディーなしでは生まれなかっただろう。この歌は歌詞から考えて失恋の歌だ。世に失恋の歌は多い。伊藤つかさ「涙のクレッシェンド」みたいに、歌詞もメロディーも悲しみにどっぷり浸かっているのが失恋の当たり前だけど、「表現のしかたはそれが全てじゃないよ」とこの曲が教えてくれる。編曲を含めてこの曲のメロディーを振り返れば、イントロではかすかに哀愁を含みつつ音階を下降するストリングスが、その直後に急上昇して、まるで広大な空を見上げるかのような大きさを感じる。歌詞が意図する所は、時代は違うが坂本九の「上を向いて歩こう」と一脈通じるものがある。心の中には悲しみが・・・でも上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。上を向けば、目の前には広大な空が開けているはずだ。そしてこの曲の歌手は歌う、(涙がこぼれないように上を向いて)広大な空に「流れる雲を数えるわ」と。
昔から作品内在的に鑑賞する私は、歌手名をここで挙げる気がない。当時何歳の若さだったか、期待の新人だったのにと言うつもりもない。そのかわりに、私は称賛する。何歳であろうと、期待されていようとなかろうと、それが何だというのだ。オリコンのトップ100に入らなかった事が、どうしたというのだ。この歌声の良さが、わかる人には、わかっているのだろう?だったらそれで良いじゃないか。
当時のアイドル歌手の中には、極端な例を挙げれば聴いていて苦笑するほど音程がふらつくアイドルもいた。でもこの歌手はそれとは無縁だ。正しい音程、安定した声量、聴いていて美しいと思う声の生命力。・・・うーん、どうしても言葉にすると陳腐になる。ようするに私はこれが好きだ。認めている。
さて、この後の部分では、私は歌詞を批判しなければならない。いや、私としては、曲の冒頭であれほどのインパクトを与えたのと同じ作詞者の書いたものかと不思議でならない。それほど月並みでどこにでもありそうな数行が続く。
とりあえず もう会えないと
自分には 言い聞かせたの
勝手よね ひとりよがりに
好きだった それだけのこと
上記の部分は、ヒロインと相手との関係がどんなものなのか、片思いを歌っているんだという事を聴き手に知らせる。それは必要な事だ。事情が飲み込めて初めて聴き手は感情移入できる。そういう必要な部分だから、この部分が月並みな表現になっても仕方がないかもしれない。問題は次だ。
遠い町へと消えた人
訪ねて来いと言ったきり
後はもう梨のつぶてね
私は上の部分が、初めて聴いた時からずっとわからなかった。何を言っているんだろうという疑問が頭の中に浮かぶ。でも私の側にも問題点があった。私は歌詞カードを持っていない。FMエアチェックでたまたま見つけて録音した曲だ。だから歌詞は、聞いて認識するしかない。「消えた人」の後で音を引っぱりつつ落とすので、私にはずっと「消えた人を」と聞こえていた。そうすると意味が全然わからなくなる。ヒロインAさんには好きな人Bくんがいる。Bくんが「遠い町へと消えた人(C)を訪ねて来い」と言う。Bくんはその後、梨のつぶてで帰って来ない。これでは、「Cって一体誰?」という事になり、歌詞が意味をなさない。だから私は「消えた人を」でなく「消えた人」(体言止め)なのだと気づいた。つまりBくん自身が「遠い町へと消えた人」であり、そのBくんが「(自分を)訪ねて来い」と言ったが、その後は音沙汰ない。これなら意味が通る。でもこれだと、今度は内容が希薄すぎる。Bくんは自分を訪ねて来いと言って去ったのだから、今度はAさんが訪ねて行く番じゃないか。でもAさんはそれが出来ず、自分からチャンスを捨てている。現実にそんな人もいるかもしれない。でも話のプロットとしては希薄すぎる。
片思いだった。相手が遠くへ行った。そして会えなくなったというのなら、例えば「卒業しても白い喫茶店 今まで通りに会えますねと 君の話は何だったのと 聞かれるまでは言う気でした」という曲がある。場面を想像するだけでもらい泣きしそうな歌詞だ。我々はそういう曲をいくつも聴いて育った世代なので、相手は会いに来いと言ってくれるけど片思いだから行かないというのは、訴えかけるものが薄すぎる。
こうして私の場合、上記の部分を頭の中に一抹のもやもやを抱えたまま聴くことになるが、その直後またあのインパクトが蘇る!
心がシュンとした日には
窓から電話放りたい
涙がピッと滲む日は
ポストも口を閉じたまま
ひとりぼっちは嫌い
擬音の効果はもう書いたが、ここではまた別の事がある。曲のヒロインは「窓から電話放りたい」と言っている。平成の世に生きる我々は、ともすれば感覚が鈍り、この歌詞の本当のすごさを見過ごすかもしれない。正確を期すために、私は日本語版ウィキペディアで日本における携帯電話の歴史を調べた。それによると、日本に携帯電話機が初めて登場したのは1985年(しかもそれはまだハンディータイプでないショルダーホン)となっている。またコードレス電話が急速に普及したのは1987年の販売自由化以降だという。いっぽうこの曲の発売は1983年。つまり曲の中の電話は、現在の我々が普通に電話と聞いて思い出す、軽くて片手で持てるサイズの携帯電話ではない。コードレス電話の子機でもない。家の壁とコードでつながれ、片手では持てない大きさの「家庭電話」だ。ヒロインはそれを無理やり窓から投げ捨てようという衝動にかられている。だからこそこの歌詞はすごい。
涙は「ジワッ」と滲まない。「ピッ」と滲む。私は先に書いた。この作詞者は擬音を恐れずに使っていると。ここは「ジワッ」ではいけないのだ。「ピッ」と滲まなければいけない。それでこそ、この歌一流の「生き生きとした引き締まり」が生まれる。その擬音が日本語の使用として適切かといった御託をスッパリと切り捨て、漫画やアニメに出てきそうな涙の出方を堂々と選択した作詞者の潔さは、ここでも成功している。
この曲に出てくるポストには口がある。その口は開いたり閉じたりする。今日はポストが口を閉じている。まるでポストには口の他に目や鼻までありそうな表現だ。涙の出方と共にコミカルで楽しい。そして、事象を散文的に表現すれば「電話も手紙も来なくて悲しい」で終わってしまう所が、こんなにも魅力的になっている。
この後、また月並みな数行が続く。けっして悪くはない。でも、どこにでもありそうな表現。再度言ってしまうが、同じ作詞家先生の書いた行とは思えない。だがこれで終わらないのがこの曲の嬉しい所だ。まるで寄せては返す波のようにインパクトと月並みが交互に現れ、最後にまたインパクトが。しかもなんと、突然ここで転調するのだ!一般的には、転調して高くなった音は高揚を表現し、クライマックスへの上昇を表現する。でもこの曲では、それだけだろうか?ここまで切々と歌ってきた末に、転調して音を上げ、最後の部分に入る。それはもしや、今までの比較的明るいメロディーの裏に隠れていたヒロインの心の叫びではないだろうか。この曲の作曲者はすべてを察し、細かな心配りを忘れない。歌詞の「ハンカチぎゅっと絞るほど」の「ぎゅっと」は今までの同じメロディーで進行した2回とは違い、今度は音が上がる。まるで曲中のヒロインの涙の思いを表現するかのように。そして「もう思いきり泣きたいの」。この後、歌の最後にかぶる形で伴奏は、(1番の歌詞から続く)広大な空を想起させる曲想から転じて、ヒロインの本当の心の内を垣間見せる不安な音を数フレーズだけ奏でる。そして収束。この作曲者と編曲者、最後の最後まで聴く者の期待を裏切らない。
もしもクラシック等のステータスのあるジャンルでなくても「名曲」という表現をして構わないなら、当時のアイドル歌謡曲の中でこの一曲を名曲と言わずして何が名曲だろう?
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(26) [人生補完計画]
私が持っているカセットテープの中で、最古ではないがかなり古い時期のものをピッチ調整していた。するとラジオドラマが出てきた。ネットで調べてみると「音の本棚」という番組らしい。オープニングの音楽が心地よい。私の手元に録音が残っているのは「イタリアンSFシリーズ」というのだけで、それも3話だけだ。犬が人間に反旗を翻す話(主人公が妻を飼い犬に寝取られるというアダルトな結末つき)、宇宙船が地球に帰還するためには乗員すべての片腕を切断しなければならない話、たびたび悪夢に出てきた怪物が宇宙の孤独の中で現実として襲ってくる話。こう書くと面白そうに聞こえるかもしれないが、私個人にとっては好みにピッタリというわけではなかった。劇中のBGMとして毎回当時のロック等を使っている。既成の曲を劇にくっつけるから、いつもピッタリの雰囲気とは限らない。でもピッチ調整をしている私にとっては、曲がピッチ合わせの格好の材料になる。それに、昔レコードを買った曲を2つ見つけた。Pink FloydのDogsと、VangelisのPulstarだ。私は子供の頃、何の情報も得ずにぶらりとレコード屋へ行き、ジャケットを見てどれを買うか決めるという、いいかげんな事をしていた。だから有名なピンク・フロイドも、それと知って買ったわけじゃない。ただ「アニマルズ」のジャケットが気に入った。曲の中ではとくにDogsが好きだった。YouTubeにジャケット絵付きでUPされている。今聴いても昔の思いというか、雰囲気が蘇る。子供の頃Dogsの歌詞を自分で和訳しようとして、コンサイス英和辞典にgottaが載っていなかったのも思い出す!
http://www.youtube.com/watch?v=0bqZFp7dWbg
上の動画はDogsの全長収録だが、ジャケット絵の色合いはいまひとつだ。別個に高解像度のジャケット絵を検索して眺めながら聴くと良さそうだ。
ヴァンゲリスも事情は同じだ。「反射率0.39」のジャケットの透明感のある絵が好きだった。
http://www.youtube.com/watch?v=LZaLkfvQ714
曲の中ではPulstarの、透明感のある高音が好きだった。時々入るキュイキュイ!という音さえなければ、もっと好きになっていただろう。あのキュイキュイ!が、澄んだ高音と雰囲気を台無しにしてしまう。ヴァンゲリスのアルバムはもう1枚買った。「螺旋」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=iW_qGMRmJAw
昔のレコードは、思い出すと懐かしい。聴けばさらに懐かしく、当時の雰囲気が蘇る。もうすぐゴールデンウィークだ。YouTubeで聴いてみようか。(こんな風に横道に逸れるから、ピッチ調整の作業が遅れるのだけれども。)
http://www.youtube.com/watch?v=0bqZFp7dWbg
上の動画はDogsの全長収録だが、ジャケット絵の色合いはいまひとつだ。別個に高解像度のジャケット絵を検索して眺めながら聴くと良さそうだ。
ヴァンゲリスも事情は同じだ。「反射率0.39」のジャケットの透明感のある絵が好きだった。
http://www.youtube.com/watch?v=LZaLkfvQ714
曲の中ではPulstarの、透明感のある高音が好きだった。時々入るキュイキュイ!という音さえなければ、もっと好きになっていただろう。あのキュイキュイ!が、澄んだ高音と雰囲気を台無しにしてしまう。ヴァンゲリスのアルバムはもう1枚買った。「螺旋」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=iW_qGMRmJAw
昔のレコードは、思い出すと懐かしい。聴けばさらに懐かしく、当時の雰囲気が蘇る。もうすぐゴールデンウィークだ。YouTubeで聴いてみようか。(こんな風に横道に逸れるから、ピッチ調整の作業が遅れるのだけれども。)
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(25) [人生補完計画]
以前に予告したキャンディーズの替え歌とその他のラジオ・テレビ音声のUPについて、ひとつ問題が浮上した。今のままではピッチが変だ。できればピッチを正しくしてからUPしたい。デジタル化したかなりの数の音声について現在少しずつピッチ調整をしているのだが、これに日にちがかかる。ネット上の参考になる音声を探しては聴き比べてピッチを調整するという時間のかかる作業に加えて、本格的に始まった仕事の合間にしか作業ができないという制約がある。もしもあまりに日にちがかかるならば、変なピッチのままUPする事さえ考えなければならない。
と、これだけの連絡事項で記事が終わっては読んでくれた方に失礼なので、何か今までに得た情報を書こう。
私は手持ちの機器の事情で、デジタル化したカセットテープ音声のピッチが信用できない状態だ。そこで、ネット上の音声と聴き比べてピッチを調整してきたが、今までの経験で次の事を知り、ピッチ調整の指針としてきた。
動画共有サイトにある音声がカセットテープまたはレコードを元にしている場合、そのピッチをそのまま完全に信用するわけに行かない。元のテープの速度やレコードの回転数に誤差がありうる。そして事実、サイト上にある同じ曲を収めた2つの音声を比べたらピッチが微妙に異なっていた事例がある。また、レコードプレーヤーの演奏動画つきの音声が、微妙にピッチが高いのでどうしようかと思っていたところ、動画をよく見たらターンテーブルの縁にあるドットが微妙に速い方へ流れていたという事例もある。
これにたいしてCDやビデオテープ録画を元にした音声は、ピッチを信用していいだろう。
ようするに、ネット上の情報を頼りにピッチ調整した場合、そのピッチ調整の中には信用できない、間違った部分も含まれるだろう。だからピッチ調整後に元のファイルを上書きせずに保存しておくのもひとつの方法だ。ピッチ調整を重ねればその度に元音のクォリティーは少しずつ失われるので、後からピッチの再修正をするならオリジナルのファイルを修正するのが最善だ。
もっとも、「そんなに細かい所まで気にしないから」と考えておおまかにピッチ調整して上書き保存するという選択肢ももちろんある。それは当人のこだわりの度合いによって自由に決めればいい。
半音の半分にも満たないわずかなピッチの違いは、私の耳には明確な音程の相違ではなく、感覚的に明るい音・暗い音という形でかろうじて聴き分けられる。次の話はそういう神経質な話だ。同じ曲を録音した2つのファイルを聴き比べる場合、一方の音がこもっていて、もう一方の音が高音まで出ているならば、聴いた印象としてこもった音のほうを「ごくわずかに」ピッチが低いように調整して、実際には両方のピッチがちょうど同じになる。これはつまり、こもった音は倍音部分が失われているせいでピッチが「ごくわずかに」低く聞こえるからだ。
2つのファイルを聴き比べてピッチをうまく合わせたつもりでも、実は微妙にピッチが高かったり低かったりする事がある。試しにカセットテープ音声のほうのピッチを少しだけ上げたり下げたりして、上げる(下げる)前と後を比べてどちらが正しいかと聴き比べると、より正確なピッチ調整ができる。
上の文を読んでいただければお気づきのとおり、私の作業はだんだん細かすぎるというか、神経質すぎる感じになってきた。
初めはカセットテープ音声のピッチがあまりに外れていたからピッチ調整をしなければならなかったのだ。なにしろ極端に表現すれば、山口百恵が松田聖子のような声を出して歌ってる場合すらあったので。
でも今では、ピッチ調整が必要だからというだけでなく、こだわりというか、「ここまで来たらとことんやってやる」というか、妙に意地になっている一面がある。
と、これだけの連絡事項で記事が終わっては読んでくれた方に失礼なので、何か今までに得た情報を書こう。
私は手持ちの機器の事情で、デジタル化したカセットテープ音声のピッチが信用できない状態だ。そこで、ネット上の音声と聴き比べてピッチを調整してきたが、今までの経験で次の事を知り、ピッチ調整の指針としてきた。
動画共有サイトにある音声がカセットテープまたはレコードを元にしている場合、そのピッチをそのまま完全に信用するわけに行かない。元のテープの速度やレコードの回転数に誤差がありうる。そして事実、サイト上にある同じ曲を収めた2つの音声を比べたらピッチが微妙に異なっていた事例がある。また、レコードプレーヤーの演奏動画つきの音声が、微妙にピッチが高いのでどうしようかと思っていたところ、動画をよく見たらターンテーブルの縁にあるドットが微妙に速い方へ流れていたという事例もある。
これにたいしてCDやビデオテープ録画を元にした音声は、ピッチを信用していいだろう。
ようするに、ネット上の情報を頼りにピッチ調整した場合、そのピッチ調整の中には信用できない、間違った部分も含まれるだろう。だからピッチ調整後に元のファイルを上書きせずに保存しておくのもひとつの方法だ。ピッチ調整を重ねればその度に元音のクォリティーは少しずつ失われるので、後からピッチの再修正をするならオリジナルのファイルを修正するのが最善だ。
もっとも、「そんなに細かい所まで気にしないから」と考えておおまかにピッチ調整して上書き保存するという選択肢ももちろんある。それは当人のこだわりの度合いによって自由に決めればいい。
半音の半分にも満たないわずかなピッチの違いは、私の耳には明確な音程の相違ではなく、感覚的に明るい音・暗い音という形でかろうじて聴き分けられる。次の話はそういう神経質な話だ。同じ曲を録音した2つのファイルを聴き比べる場合、一方の音がこもっていて、もう一方の音が高音まで出ているならば、聴いた印象としてこもった音のほうを「ごくわずかに」ピッチが低いように調整して、実際には両方のピッチがちょうど同じになる。これはつまり、こもった音は倍音部分が失われているせいでピッチが「ごくわずかに」低く聞こえるからだ。
2つのファイルを聴き比べてピッチをうまく合わせたつもりでも、実は微妙にピッチが高かったり低かったりする事がある。試しにカセットテープ音声のほうのピッチを少しだけ上げたり下げたりして、上げる(下げる)前と後を比べてどちらが正しいかと聴き比べると、より正確なピッチ調整ができる。
上の文を読んでいただければお気づきのとおり、私の作業はだんだん細かすぎるというか、神経質すぎる感じになってきた。
初めはカセットテープ音声のピッチがあまりに外れていたからピッチ調整をしなければならなかったのだ。なにしろ極端に表現すれば、山口百恵が松田聖子のような声を出して歌ってる場合すらあったので。
でも今では、ピッチ調整が必要だからというだけでなく、こだわりというか、「ここまで来たらとことんやってやる」というか、妙に意地になっている一面がある。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(24) [人生補完計画]
4月になってから何の記事もUPできなかった。仕事が本格的に始まったからだ。でもこれで普通だと思う。もしも仕事が忙しいのにカセットテープのデジタル化の事ばかり考えていたら、そっちのほうが問題だろう。
こうして私の頭の中はほぼ仕事一色になったが、それでも作業は少しずつ進んでおり、その記録を残す必要がある。だから暇を見つけて今までの記録を書いておきたい。今日は2週間近く前に行った実験について。
前に私は次のような事を書いた。カセットテープ音声のデジタル化のさいに、ライン入力からそのまま聞いた音はアナログのカセットデッキからの音そのままだったのに、それをWAVファイル化したら音がおとなしくなって、つまらなくなってしまったことがあった。常にそう聞こえるのでなく、特定のカセットで特にそう感じた。私はこれを「音のカラー」の変化と呼んだ。
これを読んだ方が、そんな事はないと思ったか、あると思ったか、私は知らない。でも私にとっては大事な事で、ずっと気になっていた。今回の実験では明確な答えまでは出なかったが、ひとつの新しい注意事項が見つかった。それは「音量による聞こえ方の違い」だ。以下の長文は、2週間近く前に私が行った実験から、上記の注意事項に至るまでの記録だ。
これまでは、デジタル化に使えるライン入力つきのPCは手持ちの中ではNEC PCだけだと思っていたので、他のPCで試すのを諦めていた。つまり、上記の「音のカラー」の変化がどのPCにも共通のものなのか、それとも手持ちのNEC PCのキャプチャデバイスに固有のものなのかという疑問は解決不能と考えていた。ところが今、手持ちの富士通PCもライン入力が使えるとわかった。
私の富士通PCにはマイク入力端子だけがある。ジャックにマイクの絵が付いており、コントロールパネルを開いてもマイク入力として扱われていた。だからライン入力は使えないと私は思い込んでいた。ところがこの入力端子は設定しだいでライン入力に切り替わるというすぐれ物だったのだ。それに、富士通PCはNEC PCとは別のハードを搭載しているに違いない。このPCでもカセットを録音し、NECと音を比較すれば、「音のカラー」の変化がNEC PCのハードに固有のものなのか、他のPCでも同様になるのかが判明すると思った。
ただ、残念なことに、デジタル化して「音のカラー」が変わったと感じたカセットがどれだったかがすでにわからなくなっていた。仕方がないので、この件を初めてブログに書いた日付やそれより数日前にデジタル化したカセットをWAVファイルの更新日時から割り出したが、内容から見てどうもそれではないような気がした。もっと前にデジタル化した時に感じたことを後日ブログに書いたかもしれない。また逆に、その後にも「音のカラー」が変わったと感じたカセットはあったかもしれない。結局カセットの内容から当たりをつけるしかなかった。
私が感じた「音のカラー」の変化とは、アナログではヒスノイズも含めて音場が明るい雰囲気で、歌声も明るく響くのに、デジタル化するとヒスノイズは目立たないが音場が暗闇になり、ギターの音など暗闇の中で非常に寂しく響くというものだ。そういう内容が冒頭にありそうなカセットに見当をつけた。
カセットデッキを富士通PCとライン接続し、ライン入力から流れてくる音楽をヘッドホンで聴いた。同じ音を録音してWAVファイル化し、聴き比べた。結果は、今回の実験対象に限れば目立った違いは感じられなかった。
次に、NEC PCで録音した同じ曲を富士通PCでデジタル化したWAVファイルと比較した。比較のために音量をほぼ同じにして聴き比べた結果、目立った違いは感じられなかった。つまり、ハードの違いによる音の違いは感じられなかった。
上述のとおり、デジタル化して「音のカラー」が変わったと感じたカセットがどれだったかがすでにわからなくなっているので、実験対象を変えれば別の結果が出たかもしれず、明確な結論にたどり着けないのが悔やまれる。
さて、気づいたことが2つある。まず、手持ちのNEC PCのライン入力はSoundEngine Freeでの録音レベルをものすごく低くしなければならない。MAXが100だが、それを1まで下げる時もあった。これではまるでマイク入力にライン出力をつないでいるかのようではないか。でもコントロールパネルではちゃんとライン入力になっている。私は変だと思いつつも仕方がなく、そういうものなのだと考えていた。ところが、富士通PCのライン入力はSoundEngine Freeを使って録音レベルのつまみがまともな位置で適正となる。いったいNEC PCの録音レベルはどうしたというのだ。
もうひとつ気づいたのは、これはひょっとして大事かもしれない。NEC PCで作ったWAVはカセットテープ片面の全長の中で最大音量にピークを合わせたが、富士通PCで作ったWAVは実験用にテープ冒頭だけ録音したので、テープ冒頭の音量に合わせた。その結果、富士通PCのWAVのほうが音が大きくなった。2つのWAVを聴き比べる前に音量を同じにした事は上に書いた。でも、試しに音量調整する前の段階でも聴き比べた。するとNECのほうは明らかに音がおとなしくて、つまらなかった。これを富士通のほうに合わせて音量調整してから聴き比べたところ、目立った違いは感じられなかった。これはつまり、音自体が同じデータでも音量によって聞く人間の印象がこうも違うという事かもしれない。
録音時にモニターした音量と、WAVファイル化してからそれを再生した時の音量は、異なる音量だったに違いない。その結果感じた音の違いを私が以前に「音のカラー」の変化だと思い込んだ可能性すらある。でも推論をそのまま結論にしてはいけない。全部の実験を終えた後で、「ひょっとしたら『音のカラー』の変化を感じた時に抜き出したものか」と思われるWAVのコピーがHDDから見つかった。これを実験対象として改めて実験するべきかもしれない。でも今は仕事に専念するべき時期なので、時を改めて考えよう。
こうして私の頭の中はほぼ仕事一色になったが、それでも作業は少しずつ進んでおり、その記録を残す必要がある。だから暇を見つけて今までの記録を書いておきたい。今日は2週間近く前に行った実験について。
前に私は次のような事を書いた。カセットテープ音声のデジタル化のさいに、ライン入力からそのまま聞いた音はアナログのカセットデッキからの音そのままだったのに、それをWAVファイル化したら音がおとなしくなって、つまらなくなってしまったことがあった。常にそう聞こえるのでなく、特定のカセットで特にそう感じた。私はこれを「音のカラー」の変化と呼んだ。
これを読んだ方が、そんな事はないと思ったか、あると思ったか、私は知らない。でも私にとっては大事な事で、ずっと気になっていた。今回の実験では明確な答えまでは出なかったが、ひとつの新しい注意事項が見つかった。それは「音量による聞こえ方の違い」だ。以下の長文は、2週間近く前に私が行った実験から、上記の注意事項に至るまでの記録だ。
これまでは、デジタル化に使えるライン入力つきのPCは手持ちの中ではNEC PCだけだと思っていたので、他のPCで試すのを諦めていた。つまり、上記の「音のカラー」の変化がどのPCにも共通のものなのか、それとも手持ちのNEC PCのキャプチャデバイスに固有のものなのかという疑問は解決不能と考えていた。ところが今、手持ちの富士通PCもライン入力が使えるとわかった。
私の富士通PCにはマイク入力端子だけがある。ジャックにマイクの絵が付いており、コントロールパネルを開いてもマイク入力として扱われていた。だからライン入力は使えないと私は思い込んでいた。ところがこの入力端子は設定しだいでライン入力に切り替わるというすぐれ物だったのだ。それに、富士通PCはNEC PCとは別のハードを搭載しているに違いない。このPCでもカセットを録音し、NECと音を比較すれば、「音のカラー」の変化がNEC PCのハードに固有のものなのか、他のPCでも同様になるのかが判明すると思った。
ただ、残念なことに、デジタル化して「音のカラー」が変わったと感じたカセットがどれだったかがすでにわからなくなっていた。仕方がないので、この件を初めてブログに書いた日付やそれより数日前にデジタル化したカセットをWAVファイルの更新日時から割り出したが、内容から見てどうもそれではないような気がした。もっと前にデジタル化した時に感じたことを後日ブログに書いたかもしれない。また逆に、その後にも「音のカラー」が変わったと感じたカセットはあったかもしれない。結局カセットの内容から当たりをつけるしかなかった。
私が感じた「音のカラー」の変化とは、アナログではヒスノイズも含めて音場が明るい雰囲気で、歌声も明るく響くのに、デジタル化するとヒスノイズは目立たないが音場が暗闇になり、ギターの音など暗闇の中で非常に寂しく響くというものだ。そういう内容が冒頭にありそうなカセットに見当をつけた。
カセットデッキを富士通PCとライン接続し、ライン入力から流れてくる音楽をヘッドホンで聴いた。同じ音を録音してWAVファイル化し、聴き比べた。結果は、今回の実験対象に限れば目立った違いは感じられなかった。
次に、NEC PCで録音した同じ曲を富士通PCでデジタル化したWAVファイルと比較した。比較のために音量をほぼ同じにして聴き比べた結果、目立った違いは感じられなかった。つまり、ハードの違いによる音の違いは感じられなかった。
上述のとおり、デジタル化して「音のカラー」が変わったと感じたカセットがどれだったかがすでにわからなくなっているので、実験対象を変えれば別の結果が出たかもしれず、明確な結論にたどり着けないのが悔やまれる。
さて、気づいたことが2つある。まず、手持ちのNEC PCのライン入力はSoundEngine Freeでの録音レベルをものすごく低くしなければならない。MAXが100だが、それを1まで下げる時もあった。これではまるでマイク入力にライン出力をつないでいるかのようではないか。でもコントロールパネルではちゃんとライン入力になっている。私は変だと思いつつも仕方がなく、そういうものなのだと考えていた。ところが、富士通PCのライン入力はSoundEngine Freeを使って録音レベルのつまみがまともな位置で適正となる。いったいNEC PCの録音レベルはどうしたというのだ。
もうひとつ気づいたのは、これはひょっとして大事かもしれない。NEC PCで作ったWAVはカセットテープ片面の全長の中で最大音量にピークを合わせたが、富士通PCで作ったWAVは実験用にテープ冒頭だけ録音したので、テープ冒頭の音量に合わせた。その結果、富士通PCのWAVのほうが音が大きくなった。2つのWAVを聴き比べる前に音量を同じにした事は上に書いた。でも、試しに音量調整する前の段階でも聴き比べた。するとNECのほうは明らかに音がおとなしくて、つまらなかった。これを富士通のほうに合わせて音量調整してから聴き比べたところ、目立った違いは感じられなかった。これはつまり、音自体が同じデータでも音量によって聞く人間の印象がこうも違うという事かもしれない。
録音時にモニターした音量と、WAVファイル化してからそれを再生した時の音量は、異なる音量だったに違いない。その結果感じた音の違いを私が以前に「音のカラー」の変化だと思い込んだ可能性すらある。でも推論をそのまま結論にしてはいけない。全部の実験を終えた後で、「ひょっとしたら『音のカラー』の変化を感じた時に抜き出したものか」と思われるWAVのコピーがHDDから見つかった。これを実験対象として改めて実験するべきかもしれない。でも今は仕事に専念するべき時期なので、時を改めて考えよう。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(23) [人生補完計画]
野沢那智と白石冬美がパーソナリティーのパックインミュージック。この2人がパーソナリティーのパックもずいぶん聞いたが、録音が残っているのは、きょう紹介するのだけだ。話に出てくるK学園に興味のある人は多くないと思うが、2人の掛け合いは面白い。一部カットして縮めた都合でmp3が4つに分かれたが、一続きの話なので続けて聞いてほしい。
昔の私は友達と顔を合わせて、「都内にあるK学園で、女子校で、全員前髪を編み込んだ三つ編みで、M駅から歩道橋を渡って3分で学校に着くって、これってやっぱり目白駅の近くにある、あれだよなぁ。」と話し合ったものだった。今回デジタル化するついでに、目白駅近くの学校が今どうなっているかネット検索して驚いた。そこにあった写真は、どの生徒も前髪を編み込んだ三つ編みではなかった。校則が変わったらしい。だからこの録音にある校風は、はるか昔の話として懐かしむだけの物だ。
次回は、お宝音声か、それとも珍作か。キャンディーズご本人の声による某曲の替え歌「えぐれと言わないで」。ただし、前もってmp3化しておいた分を出し尽くしてしまったから新たにmp3を作らなければならず、加えていよいよ仕事が忙しくなる。そんなわけで、「次回」がいつになるかは不明だ。他の記事のほうが先行してしまうだろうなあ。
昔の私は友達と顔を合わせて、「都内にあるK学園で、女子校で、全員前髪を編み込んだ三つ編みで、M駅から歩道橋を渡って3分で学校に着くって、これってやっぱり目白駅の近くにある、あれだよなぁ。」と話し合ったものだった。今回デジタル化するついでに、目白駅近くの学校が今どうなっているかネット検索して驚いた。そこにあった写真は、どの生徒も前髪を編み込んだ三つ編みではなかった。校則が変わったらしい。だからこの録音にある校風は、はるか昔の話として懐かしむだけの物だ。
次回は、お宝音声か、それとも珍作か。キャンディーズご本人の声による某曲の替え歌「えぐれと言わないで」。ただし、前もってmp3化しておいた分を出し尽くしてしまったから新たにmp3を作らなければならず、加えていよいよ仕事が忙しくなる。そんなわけで、「次回」がいつになるかは不明だ。他の記事のほうが先行してしまうだろうなあ。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(22) [人生補完計画]
今回は、ちょっと節操のない取り合わせだ。つまり、ニッポン放送と、TBSラジオと、局はすでにわからないがおそらくFM局の詰め合わせとなっている。
まず、オールナイトニッポン特別企画「宇宙戦艦ヤマト」。私の子供の頃はこのアニメが大人気で、でもDVDレコーダーはもちろんビデオデッキもない時代だから、ヤマトの話を保存するためには、レコードやラジオ放送が頼りだった。ところがレコードのほうは情けなくて、ストーリーが紹介されてはいるのだが、ガミラス本星での戦闘が全部省略されていた。これにたいしてニッポン放送の特別企画は、かなり力の入ったものだった。2時間以上の大作で、120分テープを全部使っても録音しきれなかった。と、いうのが昔の話だが、今では簡単にオリジナルのアニメを入手できるのだから、今さら昔のラジオ放送を長々とここで紹介する意味はないだろう。「昔オールナイトニッポンで企画があったなあ」と、聞いた人に懐かしく思い出してもらえる程度の短い音声をUPしよう。
おそらく再生時のピッチが本来のピッチよりも少し低い。人の声だけだと気にならないが、知っている音楽が入っていると気になるかもしれない。ご容赦いただきたい。それから、久しぶりにヤマトを見てみたくなった人は、スカパーのファミリー劇場で4月に、TV版の初代と2(白色彗星)を一挙放送する。
パックインミュージックの番組に挿入された変なコマーシャルを2つ。録音内容によると、これは日曜パックだという。日曜パックを聞いた記憶は私にはほとんどないのだが、たまたま録音が残っていた。なんか、いかにも二流、いや三流会社の昭和テイストなコマーシャルだが、昔を懐かしく思えるかもしれない。
おそらくはFM局の番組で、オープニングの曲が気に入って、そこだけ録音したもの。「夜のスペースファンタジー」という名前の番組らしい。
まず、オールナイトニッポン特別企画「宇宙戦艦ヤマト」。私の子供の頃はこのアニメが大人気で、でもDVDレコーダーはもちろんビデオデッキもない時代だから、ヤマトの話を保存するためには、レコードやラジオ放送が頼りだった。ところがレコードのほうは情けなくて、ストーリーが紹介されてはいるのだが、ガミラス本星での戦闘が全部省略されていた。これにたいしてニッポン放送の特別企画は、かなり力の入ったものだった。2時間以上の大作で、120分テープを全部使っても録音しきれなかった。と、いうのが昔の話だが、今では簡単にオリジナルのアニメを入手できるのだから、今さら昔のラジオ放送を長々とここで紹介する意味はないだろう。「昔オールナイトニッポンで企画があったなあ」と、聞いた人に懐かしく思い出してもらえる程度の短い音声をUPしよう。
おそらく再生時のピッチが本来のピッチよりも少し低い。人の声だけだと気にならないが、知っている音楽が入っていると気になるかもしれない。ご容赦いただきたい。それから、久しぶりにヤマトを見てみたくなった人は、スカパーのファミリー劇場で4月に、TV版の初代と2(白色彗星)を一挙放送する。
パックインミュージックの番組に挿入された変なコマーシャルを2つ。録音内容によると、これは日曜パックだという。日曜パックを聞いた記憶は私にはほとんどないのだが、たまたま録音が残っていた。なんか、いかにも二流、いや三流会社の昭和テイストなコマーシャルだが、昔を懐かしく思えるかもしれない。
おそらくはFM局の番組で、オープニングの曲が気に入って、そこだけ録音したもの。「夜のスペースファンタジー」という名前の番組らしい。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(21) [人生補完計画]
火曜パックインミュージック1977年8月29日(カセットテープのインデックス書き込みによる)
スズキ ユリさんの手記から
ラジオのパーソナリティー。彼らは、ラジオを聴くたくさんの人々からのメッセージを、マイクを通して読み上げる。こうして彼らは、たくさんの人の心とつながる。その中には、楽しい話題だけでなく、辛い話題もある。彼らパーソナリティーは、楽しい話題の時には楽しく、そして辛い話題の時はそれを自分の心で受け止めて、心から読み上げる。彼らはきっと、普通の人以上にいろんな人の人生に接している。だから彼らの作る番組には、時にとても重みがある。
これから紹介するのも、そういうもののひとつだ。子供の頃の私がたまたま録音し、その内容のシリアスさゆえに、安易に扱うことも消すことも出来なかった。そして数十年の歳月を経て、今でも忘れない。
今回のパーソナリティー(小島一慶)が読むのは、肉腫で闘病生活を送った少女の手記だ。彼女の書く一行一行が重く、本当は全部を紹介したいけど、ブログの容量制限で一部しか紹介できない。
当時この放送を聞いていたたくさんの人がいるはすだ。一緒に、今ふたたび、命の重みを心に刻もう。
小島一慶氏がこれを読んだ後、曲が1曲かかり、それから一慶氏のトークとなるはずだった。でも彼は涙に暮れて語れなくなっていたので、そのかわりにスズキ ユリさんが好きだったというシェールの「悲しきジプシー」をかける事になった。この曲の曲想がすでに悲しいが、今回ネットで歌詞の日本語訳を検索してみたら、私の想像を超えて厳しい内容だった。闘病で苦しむ少女がこの曲を好きだっていうのか。人の好みは自由だから何も言えないけれども、この歌詞の内容は救いがないなあ。
私のブログの記録によると、こういう記事はアクセス件数が少ない。もっと即物的な、「これこれの商品を実際に試した結果こうだった」という記事のほうが確実にアクセスは多い。でも私は構わない。まず何よりも、自分のためのブログでありたい。私は今回の記事のために、今までの中で最大の「合計ファイルサイズ」を充てる。それが私のスズキ ユリさんへの気持ちだ。
この件については、まさかもうネット上に何もないだろうと思いつつ、私は検索した。そうしたら、彼女の手記を一慶氏が朗読したものを文書化したサイトが見つかった。
http://cavtot.at.webry.info/200504/article_5.html
ページの下にあるリンクをたどると、手記の全部が読める。
スズキ ユリさんの手記から
ラジオのパーソナリティー。彼らは、ラジオを聴くたくさんの人々からのメッセージを、マイクを通して読み上げる。こうして彼らは、たくさんの人の心とつながる。その中には、楽しい話題だけでなく、辛い話題もある。彼らパーソナリティーは、楽しい話題の時には楽しく、そして辛い話題の時はそれを自分の心で受け止めて、心から読み上げる。彼らはきっと、普通の人以上にいろんな人の人生に接している。だから彼らの作る番組には、時にとても重みがある。
これから紹介するのも、そういうもののひとつだ。子供の頃の私がたまたま録音し、その内容のシリアスさゆえに、安易に扱うことも消すことも出来なかった。そして数十年の歳月を経て、今でも忘れない。
今回のパーソナリティー(小島一慶)が読むのは、肉腫で闘病生活を送った少女の手記だ。彼女の書く一行一行が重く、本当は全部を紹介したいけど、ブログの容量制限で一部しか紹介できない。
当時この放送を聞いていたたくさんの人がいるはすだ。一緒に、今ふたたび、命の重みを心に刻もう。
小島一慶氏がこれを読んだ後、曲が1曲かかり、それから一慶氏のトークとなるはずだった。でも彼は涙に暮れて語れなくなっていたので、そのかわりにスズキ ユリさんが好きだったというシェールの「悲しきジプシー」をかける事になった。この曲の曲想がすでに悲しいが、今回ネットで歌詞の日本語訳を検索してみたら、私の想像を超えて厳しい内容だった。闘病で苦しむ少女がこの曲を好きだっていうのか。人の好みは自由だから何も言えないけれども、この歌詞の内容は救いがないなあ。
私のブログの記録によると、こういう記事はアクセス件数が少ない。もっと即物的な、「これこれの商品を実際に試した結果こうだった」という記事のほうが確実にアクセスは多い。でも私は構わない。まず何よりも、自分のためのブログでありたい。私は今回の記事のために、今までの中で最大の「合計ファイルサイズ」を充てる。それが私のスズキ ユリさんへの気持ちだ。
この件については、まさかもうネット上に何もないだろうと思いつつ、私は検索した。そうしたら、彼女の手記を一慶氏が朗読したものを文書化したサイトが見つかった。
http://cavtot.at.webry.info/200504/article_5.html
ページの下にあるリンクをたどると、手記の全部が読める。
人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(20) [人生補完計画]
先日天袋からMTRを出した時、一緒にリバーブユニットも出した。YAMAHAのR100だ。リバーブの多様さは文句なしだったが、音がちょっと硬かった。もっと金をかければワンランク上のリバーブユニットが買えて、それは残響音に温かみがあったが、予算的に無理だった。今となっては昔の話だ。言うまでもなく、現代ではデジタル処理のリバーブは簡単に手に入り、YAMAHAのR100を大事に取っておく必要はない。ただ、昔の思い出だけをサルベージしておきたい。外観の写真を撮り、いくつかの音源にリバーブをかけて、思い出として保存しておきたい。

人の記憶というのは結構なものだ。子供の頃に読んだきりのマニュアルを、覚えているんだから。R100は内部にバッテリーが入っていて、これの寿命が来るとデータを記憶できなくなる。これだけ長年放っておいたのだから、きっと内部のバッテリーなどに問題が生じているだろうと思った。ACアダプターをつないで電源を入れてみた。思った通り、表示窓にE4と出た。Eはエラーだろう。どんなエラーかまではマニュアルを記憶していなかったが、問題ない。私はマニュアルを捨てない人間なのだ。すでに探し出してあった。マニュアルを読んだ。エラーの内容まではマニュアルにも書いていない。E1からE4まではヤマハのサービスセンターへ持ち込んで修理を依頼するらしい。今さらお金出して修理はちょっと。というか、それ以前に部品の保管期間がとっくに過ぎて修理不能と言われるのが落ちだろう。
何か情報はないかとネット検索した。イングリッシュを書き込んているどっかの人がR100のE4エラーで私と同じく困っていたが、解決策までは載っていなかった。やっぱり諦めか。その時、脳の中から何か、火事場の馬鹿力だか糞力みたいなのが湧いた。複数のボタンを押しながら電源を入れるとリセット。そんな事がマニュアルに書いてあったという記憶がよみがえった。どのボタンだ?そこまでは記憶していない。問題ない。マニュアルはある。読んで探した。右端から3つのボタンを全部押しながら電源ONだ。試した。うおー、E4エラーが出なくなった。人間って、やっぱりすごいと思う。諦めなければいつか何とかなる事柄が、結構あると思うから。

R100の多様なリバーブは、元音によって効果的なものとそうでないものがあったと記憶している。たとえばホールの残響はピアノ曲には効果的だったが、オーケストラ曲に使ったらいまいちだったような気がする。中にはユニークすぎて一般的なエフェクトとしては使いにくいものもあったような気がする。だから60種ある効果のうち実際に使えるものは一部だった。とにかく色々試し、思い出として保存したい。



人の記憶というのは結構なものだ。子供の頃に読んだきりのマニュアルを、覚えているんだから。R100は内部にバッテリーが入っていて、これの寿命が来るとデータを記憶できなくなる。これだけ長年放っておいたのだから、きっと内部のバッテリーなどに問題が生じているだろうと思った。ACアダプターをつないで電源を入れてみた。思った通り、表示窓にE4と出た。Eはエラーだろう。どんなエラーかまではマニュアルを記憶していなかったが、問題ない。私はマニュアルを捨てない人間なのだ。すでに探し出してあった。マニュアルを読んだ。エラーの内容まではマニュアルにも書いていない。E1からE4まではヤマハのサービスセンターへ持ち込んで修理を依頼するらしい。今さらお金出して修理はちょっと。というか、それ以前に部品の保管期間がとっくに過ぎて修理不能と言われるのが落ちだろう。
何か情報はないかとネット検索した。イングリッシュを書き込んているどっかの人がR100のE4エラーで私と同じく困っていたが、解決策までは載っていなかった。やっぱり諦めか。その時、脳の中から何か、火事場の馬鹿力だか糞力みたいなのが湧いた。複数のボタンを押しながら電源を入れるとリセット。そんな事がマニュアルに書いてあったという記憶がよみがえった。どのボタンだ?そこまでは記憶していない。問題ない。マニュアルはある。読んで探した。右端から3つのボタンを全部押しながら電源ONだ。試した。うおー、E4エラーが出なくなった。人間って、やっぱりすごいと思う。諦めなければいつか何とかなる事柄が、結構あると思うから。
R100の多様なリバーブは、元音によって効果的なものとそうでないものがあったと記憶している。たとえばホールの残響はピアノ曲には効果的だったが、オーケストラ曲に使ったらいまいちだったような気がする。中にはユニークすぎて一般的なエフェクトとしては使いにくいものもあったような気がする。だから60種ある効果のうち実際に使えるものは一部だった。とにかく色々試し、思い出として保存したい。

人生補完計画 カセットテープ音声のデジタル化保存(19) [人生補完計画]
今回は、アナログシンセサイザーの使い方を教えるラジオ番組の録音をUPしたい。シンセサイザーというのは今でも存在するが、今は楽器として、それも電子オルガンみたいなものとして認識されている事が多いのではないだろうか。しかもシンセサイザーそのものが巷で話題になる事がとても少なくなった。これにたいして昔は、ずいぶん違っていた。もともとシンセサイザーは楽器でなく、発振器と変調器と増幅器だった。それが音楽の方面で新しい試みとして使われ始めた頃は、使用者にはシンセサイザーで目的の音を創るエンジニアとしての技能と、それで魅力的な曲を作り演奏するミュージシャンとしての技能の両方が求められた。今回のラジオ番組はその頃のものだ。初めは1台百万円もしたプロ仕様のシンセサイザーだったが、シンセ・ミュージック人気の高まりに支えられて一部の会社が一般人向けの安価な商品を発売しはじめた。それでも一台10万円近くして、当時子供だった私にはとても手が出ない価格だった。私は本を買い、本の端が毛羽立つほど読み返し、今回紹介するような番組で情報を得て、いつかお金が溜まったら買いたいと夢を膨らませていた。ところが流行の変化はあまりに早く、私がまだ子供のうちに、シンセサイザーはアナログからデジタルへと変わった。これは、あの魅力的なつまみやジャックで埋め尽くされた外観が失われてしまったという事だ。そしてまたシンセサイザーは楽器として、電子オルガンみたいなものとして製造されるようになった。機械に埋め尽くされてそれを思うがままに操作したいという私の望みとは違うものになってしまった。それでも私は、シンセがさらに安くなってから、鍵盤のないデジタルシンセサイザーと、デジタルシーケンサーと、リバーブユニットと、4チャンネルミキサーつきカセットレコーダーを買った。後にはキーボードに代わる管楽器型のシンセサイザーも買った。これらをMIDIケーブルでつないで自作作品も残した。でも、私が本当に欲しかった、つまみやジャックで埋め尽くされたアナログシンセの感激には遠かった。
今回紹介するのは、そういう昔のアナログシンセサイザーを教えるラジオ番組だ。当時安価なシンセサイザーはヤマハとコルグが出していた。このラジオ番組ではヤマハのCS-30を使って基本的な音創りのしかたを教えている。
今回紹介するのは、そういう昔のアナログシンセサイザーを教えるラジオ番組だ。当時安価なシンセサイザーはヤマハとコルグが出していた。このラジオ番組ではヤマハのCS-30を使って基本的な音創りのしかたを教えている。






