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日記 [手記さまざま2]

今日は一人の女性と話してきた。声優になりたくて声優養成所に通っているそうだ。私はそれがどんな所か知らないので、例えば何をやっているか聞いてみた。すると妙な言葉が返ってきた。ういろう売り。なんだそりゃ?ういろうを売り歩く話か?青柳ういろう?そうじゃないらしい。薬の名前らしいんだ。それから彼女は暗記している長い文を喋りだした。これがどこまでも続く続く。やっと終わったと思ったら、それで3分の1だそうだ。私はあることに気づいた。彼女は普段ハキハキ喋らない。どちらかというと、小さな声でボソボソと喋る。それが、ういろう売りを喋っている時は何か違った。声の大きさはたいして変わらないが、話し相手に届くものが違う。ひょっとすると、養成所でやっているもの、声優としての発声が、少し出たのかもしれない。
私は、他には何をやったのか聞いてみた。台本を渡されて、皆の前で演技するそうだ。私は声優の勉強だから声だけかと思ったが、声だけでなく演技も付けるそうだ。登場人物が2人なので、2人で演技したという。どんな話なのか聞いてみた。悪魔が女の子の魂を奪おうとする話らしい。そこん所は昔からよくある悪魔との契約の話だ。悪魔は願い事を3つ叶えてくれる。3つの願い事が叶った時点で契約者の魂は悪魔のものになる。ところがこの台本では、女の子は相手が悪魔だとなかなか信じないらしい。悪魔がしつこいので、しょうがないから悪魔につきあってやる。なんじゃいそりゃ?しょうがなく悪魔につきあう人間がいるかいな。で、女の子が言うには、彼氏と喧嘩別れして、もうすぐ彼氏は飛行機でアメリカへ行ってしまう。(アメリカとは、急に話が大きくなったな。)女の子は彼氏を追いかけたい。そこで1つめの願いは、悪魔が女の子のパスポートをパッと出現させる。2つめの願いは、悪魔が女の子を空港まで運んでやる。(私は、悪魔だから瞬間移動で運んでやるのかと思って、その答えを予想して「運ぶって、まさか車で?」と聞いてみた。すると彼女は案の定「ううん」と否定したが、それに続けて言った。「バイクで。」悪魔がバイクかよ!妙に人間臭い悪魔だな。)空港に着くと、悪魔は女の子を彼氏の所へ行かせようとする。女の子は言う。「でも私まだ3つめの願いを言ってない。」すると悪魔は言った。「3つめの願いを叶えるのは、僕じゃない。」おお、最後にそう来たか!
声優養成は、3段階のコースに分かれているらしい。年に1回、才能を認められた人が選ばれるチャンスがあって、でもそれはゴールではなく、それからまだ先があるそうだ。選ばれなかったらもう1年学ぶ。1クラス20人くらい。その女性のクラスは男のほうが多くて6:4だそうだ。声優もまた狭き門だとは思うが、たくさんの若者が自分の道を目指しているのが私には頼もしく思える。
昔は声優と言えば文字通り声を職業とする人だったが、今時の声優は歌って踊れる声優なのだそうだ。言われてみれば確かにある時期から声優がアイドル化したように思える。これも時代の流れか。
声優養成所の話をたくさん聞かせてもらった私は、お礼に暗殺教室のあらすじと殺せんせーについてたくさん喋ってきた。


two wives [  カセットテープ(補完計画)]

PCのADSLが低速になって困っていたら、スマホの通信がテザリングでPCに使えるとわかったので、今日は音声データもupすることにした。

でも本来は逆で、スマホの通信データ量を温存するために人々はPC用のWi-Fiを使うのだから、私はどうかしているのかもしれない。通信データ量を使い切ってスマホが使えなくなったら困るのだから、今後はやっぱり自重してテキストや、せいぜい画像のupにするかもしれない。

とにかく今日はこのまま行こう。

ずいぶん前に、大昔のある日本映画についてブログ記事を書いたと記憶している。私はカセットテープに音声だけ持っていて、それをupしたはずだ。でもその後、ブログの動画・音声用領域が一杯になって、過去の動画・音声は全部消してしまった。だから今日は、この記事に必要な部分だけを再upしなければならない。


これは、私が子供の頃にこの映画がテレビで放送された後、解説として話されたものだ。この音声も、動画・音声用領域の都合で遠くない未来に削除しなければならないから、音声の内容をテキストにもしておこう。この映画を象徴するような路上の矢印を増村監督は苦労して撮影所内に作らせた。撮影所内にアスファルトを敷き、2週間にわたってその上に自動車を走らせて汚し、さらにスタッフ全員で油を塗るなど苦心惨憺の末に撮影した。監督はこのマークがとても好きで、台本にも自分の手で描いたという。

私は長年そのマークを見られずに音声だけ聞いてきたが、先日ようやく見ることができた。今日はそれを記念して記事を書きたかった。私の手元にあるのは現在売られているメディアだから、もちろん動画は出せない。出すのはスクリーンショット1枚だけだ。でもこの記事のためには、この1枚だけで足りる。PCにメディアを入れて再生し、PrintScreenしてから切り出した。
twowives2.png


追伸
今回の記事内容とは別の話だが、困った事になった。このSo-netブログの検索機能がもうじき使えなくなるそうだ。この検索機能は、私のブログ内を特定のキーワードで検索するのに必要不可欠な機能だ。誰よりも記事作者の私が頻繁に使ってきた。これからは、どうしたら良いのだろう。

個人的記録(UQ,データ増量,スカパーオンデマンド,スタートレック) [手記さまざま2]

PCの前に座らないようにしている私だが、今日は個人的記録を残さずにいられない。頭に湧いてくる文章が消えないうちに素早く書き留めるために、今日はスマホでなくPCで書く。

今日は、長年私のPCがインターネットでノロノロやっていたのが通信速度のせいだと実感できた記念すべき日となった。そもそも私がインターネットを始めたのはWindows95の時代だ。それからずっと、私は自分のインターネット環境が「低速とはいえ世の中に当たり前にある部類の低速」だと思ってやってきた。しかしどうやら「てんで世の中にないほど珍しい低速」だったらしい。

事の起こりはUQモバイルのスマホだ。私の契約では前月の通信未使用分を繰り越して今月分に加算できるらしい。それとは別にデータ増量キャンペーンというのがあり、自分でデータチャージの手続きをすれば契約データ量と同量まで無料で使えるらしい。私が今のスマホ、UQモバイルにしたのが7月末だから、使い始めたのは8月からと言っていい。それから2カ月間も、私は新しいスマホと新しいアプリの使い方に振り回されてデータ通信料の事まで気が回らなかった。でも先日やっと考え始め、使用可能なデータ残量を調べてみたら、なるほど8月の未使用分が今月(9月)に加算されているように思える。私の考えが正しければ、これにデータ増量キャンペーン分を無料で加算できるはずだ。私の契約の通信データ量はたったの1GB/月だが、これがデータ増量キャンペーンで2GBになり、さらに先月の使い残し分が繰り越し加算される。もちろん、9月になってから能天気に使ってきた分のデータ量は差し引かなければならないが、それでもある程度まとまった量の通信ができる。

ではデータ増量キャンペーンをあてにしてデータチャージするのはいつか。それは今日だ。今日しかない。なぜなら今日が9月末日だからだ。私の考えが正しければ、9月分のデータ増量キャンペーンは10月分とは別に存在する。月ごとにデータ増量だと思う。もしそうなら、9月分の1GBを無料でいただけるのは今日だけだ。明日になってデータチャージしたら10月分になってしまう。私はUQモバイルのデータチャージサイトで2x500MBのチャージをした。もしも私の考えが間違っていたら1000円+税を多く請求されるのだから、ドキドキだ。私は久しぶりにドキドキ感を味わった。まだ私が精神的に元気だったころ、株を買った時のドキドキに似ている。

さて、こうして瞬時にして手に入れた通信データ量で何をするか。スカパーオンデマンドだ。以前の記事に書いたが、私はプレミアムサービスの2つある衛星のうちの片方から良好に受信できないのに、あるチャンネルを視聴契約してしまい、この2カ月間は「何とか不具合なしで視聴できないか」と試行錯誤と苦労を重ねてきた。でも衛星のパラボラは錆びついて方向を変えられず、オンデマンドはADSLが低速すぎて途切れ途切れだ。色々な方法を試しながら、「どうにもならない」という言葉だけは口にせず、まるで昔の漫画で敵にボコボコにされながら「俺は負けを認めねえ。だから俺は負けてねえ」とぬかす主人公のように、内心ボコボコになりながら沈黙を保ってきた。正直、この1週間はもう何の行動も起こしていなかった。そして今朝、そのチャンネルの視聴契約をちゃんと解約したかどうか再確認しようと思い、私はスカパーチューナーの電源を入れた。そうしたら偶然にテレビにスター・トレックが映った!

私が過去にしがみついて生きている間に、世の中ではスター・トレックのリブート劇場版が出ていた。ちょうどカークがリンゴをかじりながらコバヤシマル・テストにズルをしたシーンが映った。それからドクター・マッコイに変な注射を打たれながら艦内を走り回るシーン。これが面白くて、最初から見なかったことが残念で、もう一度放送してくれないかと番組表を見たが、もう放送してくれないのは初めからわかっていた。だって、私の視聴契約が今日で切れるから。いや、方法が残っている。オンデマンドが、契約のある今日まで使える。今まではPCで使っているADSLが低速で話にならなかったが、今はスマホのテザリングがある。

私はPCにスマホをUSB接続し、スカパー・オンデマンドのサイトでスター・トレックを再生した。そうしたら、まあ、気持ちいい位に動画が動くのなんのって。いや、これを読んでいるあなたや、私以外のすべての人は、そうやってオンデマンドの動画が動くのが当たり前で今まで通ってきたのだろう。私だけが別境遇にいたのだ。

ござダニ退治奮闘記 [ここは地獄の3丁目]

今年の1月に記事を書いたが、私は今住んでいる家への愛を示すために、擦れた畳の上に敷く敷物を買った。「い草上敷き」、要するに「ござ」だ。江戸間の四畳半いっぱいの広さがある。品物が到着したらすぐに敷くつもりだったが、私は腰、足、尻、目と、立て続けに病気になり何も出来なくなった。その後も腰の調子は良くならず、ついに夏が過ぎ秋が来た。今年の始めよりは体調がましになった。私は考えた。一気に全部やろうとするから何も出来ない。腰痛の状態では重い洋服ダンスを動かせないと考えるから何も始まらないんだ。洋服ダンスの事は考えるな。とにかく「ござ」のダニ退治だけをする。その先は考えない。そうすれば、とにかく動き始めて、ダニ退治だけは終わるだろう。
そう、ダニ退治。今時のい草はみんな中国産でダニがいると教えてくれたのは、畳屋さんだった。何年も前、畳を買って敷いてもらった時に、中身が発泡スチロールなのを親が見つけてビックリして文句を言った。親の世代にとっては、畳の中身が発泡スチロールだなんて、あり得ない事だから。そうしたら畳屋さんが言うには、ダニのいる中国産のい草や藁を少なく使うために、今はみんな中身が発泡スチロールだそうだ。だから私は「ござ」と一緒にダニアース2本も買った。ネットで調べてスプレー式がいいと思った。買った「ござ」を使う前に、まずダニを退治しなければならない。で、買ったら上記の通りに私が病気になり、「ござ」もダニアースも半年以上も放置したという次第だ。
そしてようやく作業の日が来た。四畳半用のござは大きい。狭いベランダでどうやって広げたらいいのだろう。でも世の中は「なるようになる」さ。やってみるしかない。そう思って始めた。やってみると、「なるようにしかならなかった」。ベランダの手すりと物干し竿が同じ高さで並行するように設置し、そこにござを渡した。それから折り畳まれているござを広げようとしたが、物干し竿に渡されたござは平面でなく折れているから広がらない。そんな事は始めから予想していたが、他にどうしようもなかった。折れたござを無理やり広げようとすると折り目がよじれた。これでは、ござを大事にしているのだか壊しているのだかわからない。それからダニアースを噴霧開始。初めはダニアースを自分が浴びないように注意した。眼鏡をかけ、マスクをし、ウインドブレーカーを着、風上からスプレー。しかしそんな綺麗事は言っていられないと知った。広いござにスプレーするには、しかも大きすぎて容易にひっくり返す事ができない状況では、風下へも行ってスプレーするしかない。私は結局ダニアースの霧を顔と体に浴びながら、ガンガンと作業を続けた。世の中に綺麗事はないのだ。綺麗にする作業は汚れる仕事だ。ダニアースの1本目は比較的早く空になった。商品を買った時は色々調べたから、1本をどの位の範囲に使うべきか考えていたはずだ。でもそれは半年以上前のこと。覚えているはずがない。それに今は必死だ。ダニアーススプレー2本では決定的に足りない。それに追い討ちをかけて、苦労して折り目を広げたりひっくり返したりするうちに今スプレーしているのが表側だか裏側だかわからなくなった。これはもう最終的には、ござを作った中国の良心を信じるしかない。ダニは退治してくれたと信じるしかない。中国は、い草のダニを退治してくれる国だろうか。どうやって信じるんだ。

個人的備忘録(ImgBurn万歳) [  VHSビデオ(補完計画)]

ずっと昔のこと。VHSビデオテープのうち、ラベルの書き込み等にまで思い入れのある大事な物はそのまま保存するが、一部の物はビデオデッキで再生してDVDレコーダーで録画し、DVD-Rに焼いて保存した。元のビデオテープは処分した。なぜならビデオテープは嵩張り、私の部屋が物で溢れたから。

それから何年も経ってのこと。自室のあらゆる物を可能な範囲でデジタル化してPCのHDDに保存したいと考えた。その時に、VHSの中身を入れたDVD-RもPCのHDDに保存しようとし、当時私は何の知識もなかったので中身のVIDEO_TSをまるごとHDDへコピーした。コピープロテクトはかかっていないので単純にPCのcopy & pasteでコピーできた。

それからまた何年も経ち、世の中でディスクをHDDに保存する場合はディスクイメージという形にするものだと知った。ところが私はPCにディスクイメージでなくVIDEO_TSを保存してしまった。これの中のVOBを私が持っている市販ソフトに読み込んでDVD-Rにすると、再エンコードされるらしくて画質が落ちる。ディスクイメージの形で保存するのが正解だったと思った。

さらに何年か経った今日、ようやく私は重い腰を上げ、DVD-RをイメージにしてHDDに保存、元DVD-Rを処分しようとした。イメージの形式はISOが一番一般的らしいので、それを選んだ。その時点では私は少しだけ知識を得ていて、一般的なCD-ROMはシングルセッションでISO可。音楽CDはマルチセッションだからISO不可。DVDはシングルセッションでISO可と、どっかのサイトに書いてあった。

ところが、いざDVD-RをISOにしようとしたら、マルチセッションだからISOに出来ないというエラーメッセージが出た。そんな馬鹿な、DVDはシングルセッションでISO可のはずじゃないかと思った。

ネット検索した。はっきりはわからないが、シングルセッションだというDVDは市販のDVD-Video等のことかもしれない。DVDレコーダーで焼いたDVD-Rは、たとえファイナライズ済でも違うのかもしれない。VRモードで記録していないのはもちろん、そもそもCPRM非対応の古いディスクのはずだが。とにかくマルチセッションだと言ってImgBurnもDaemon Toolsもエラーを出す。(Daemon ToolsはISOから独自形式への変更を促す。)

ネット検索時に、ImgBurnでVOBからDVD-Rが焼けるらしいと知った。
Write files/folders to discをクリック。
試しにBrowse for a source folderでVIDEO_TSのひとつ上位のフォルダを選択してみた。
Optionsは
MODE1/2048
ISO9660 + UDF
1.02
時間はかかったがエラーなくDVD-RWが焼けた。(テストだからディスクを再利用できるようにRWを使った。)

VOBが再エンコードされずにDVD-RWにコピーされたかどうかを確かめたかった。難しいファイル比較はできないので、ある録画の最後のVOBのファイルサイズを比べた。もしも再エンコードなどの手を加えていたら、元ファイルと1バイトも違わずに同じサイズになるのは珍しい。ただし最後以外のVOBはファイルサイズが決まっているから、最後のVOBのサイズを比べる。結果は、同じサイズだった。

VIDEO_TSをPCに保存済みならば、ディスクイメージを改めて保存する必要はないとわかった。



良かった点

元DVD-RのAUDIO_TSは空のフォルダだったから、PCのHDDにコピーしなかった。そのままImgBurnで処理したが、自動的に空のAUDIO_TSが追加された。



困った点

処理開始直後にボリュームラベルを付けるウィンドウが開き、ちょっと触ったらVIDEO_TSのひとつ上位のフォルダ名がボリュームラベルになって処理が続いてしまったが、運悪くそれが日本語2バイト文字列だったのでボリュームラベルが文字化けした。

VIDEO_TSのあるフォルダ内にテキストファイルをひとつ作ったのを忘れて、そのままImgBurnで処理した。出来上がったDVD-RWの中には、VIDEO_TS, AUDIO_TSと並んで、本来DVDにはあるはずのないテキストファイルが見えた。しかもファイル名は日本語2バイト文字列だったから文字化けしていた。

ImgBurnのエラーメッセージを再確認したら、マルチセッションでなくマルチトラックとなっていた。これはひょっとすると、マルチセッションが正解ではないだろうか。

ADSL今年は早くも低速化 + UQモバイル システムエラー [手記さまざま2]

お伝えしたいことは2つ。まず困ったことから。うちのパソコンで使っているADSLが、先日から低速になって役に立たない。これはつまり、動画や音声をブログ記事にUP出来なくなったということだ。テキストデータ程度なら、UPに成功したり失敗したり。時によって違う。

調べてみたら今年の2月から3月にかけてインターネットが使えなくなっている。それ以前の年も、冬に1か月くらい使えなくなった。でも今はまだ9月だ。今から3月まで使えないのはとんでもないことだ。とにかく様子を見ようと思う。じきに回復してほしい。

うちのADSLが使えない間は、スマホで記事を書こうと思う。2GB制限があるから、動画のUPは無理だろう。画像くらいは時々出したいものだ。


2つめの話は、UQモバイルを使っている人専用の話になってしまうが、my UQ mobileにログインしようとして失敗し、問題解決したという話。

問題発生編
スマホからmy UQ mobileにログインしようとしたら、「システムエラーが発生しました。」と出てログイン失敗。その後、何度試してもシステムエラー。

問題解決編
ブラウザを変えてログインすると成功した。使うスマホを変えても成功した。

問題補足編
システムエラーの時、私はドルフィンブラウザを使っていた。成功した時はChromeを使った。でも、ドルフィンブラウザだからログインに失敗したとは言えない。なぜなら、親のスマホのドルフィンブラウザから同じIDとパスワードでログインしてみたら成功したから。Cookieのせいかもしれないと思い、私のスマホのドルフィンブラウザのCookieを削除してからログインを試みたが、またもやシステムエラーだった。要するに、原因はいまだ不明だが、ログインに使用するブラウザを変えたりスマホを変えたりするとうまく行く場合があることはわかった。

痛風発作のきっかけ調査(5) [痛風日記]

5回目の痛風発作は、今回の発作だ。2017年6月。4回目から6ヶ月あまり。発作から次の発作までの期間は、毎回少しずつ短くなってゆく。4回目までは足の親指の付け根を中心に足首から先が腫れたが、5回目に痛くなったのは膝だった。一言で言えば、少しずつ悪化している。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19-1
「急に右足の膝が痛くて歩けなくなった。歩けないので自力で病院へ行けない。これから救急車で病院へ行く。不安だ。」
私の記憶では、発作の前日に私は外出した。丸一日外出先にいて、夕方に電車で帰宅しようとした。ところが駅の改札を通ってホームで待っている時に、外出先の鍵をうっかり返却せずに持ってきてしまったことに気づいた。私は改札まで戻り、駅員さんに事情を話して改札を出してもらった。私の性格が災いして、早く戻って駅員さんに誠意を見せようなどと要らぬことを考え、走って鍵を返しに行き、走って駅へ戻った。「ここ数年足腰が弱って、走るなんてことは出来ないと思っていたが、走ろうと思えば走れるじゃないか」と私は思った。確かに走れたが、翌日体が音を上げた(痛風発作が起きた)。だから5回目の発作のきっかけは、(C)激しい無酸素運動だ。

2つのことを確認したい。

1.痛風発作のきっかけは、一般論としては少なくとも(A)(B)(C)(D)(E)(f)(g)の7つがあるが、人によって事情が異なるので、注意すべき点が異なる。私の場合は、まず何よりも(C)激しい無酸素運動をしないこと。走ったり踏み台昇降運動をした翌日には必ず痛風発作が起きている。次に、PCの前に長く座って(g)足を血行不良にしないこと。(C)と違って翌日にすぐ発作は起きないが、足の血行不良が痛風以外にも私の健康を損なっていることは、私自身が感じている。以上の2つが、私が痛風発作を起こさないために気をつけることだ。なぜ他の項目は除外したのか。(D)ストレスは、私の場合性格的にも要注意事項だが、生きていればまたいつか大変なことが起きるかもしれない。その時どうやって気をつけろというのか。どうしようもないではないか。同様に(E)遺伝的要因も、どうしようもない。(A)プリン体の多いものを食べない飲まないというのは痛風治療の基本だが、私は性格的に、とりわけ注意しなくても不安にかられて口にしなくなる。一度酒を飲んでしまったという記事を書いたが、その後は先日の通院まで飲まなかった。(B)過食と運動不足はどうか。私はもう歳で、若い頃ほど食べようとしない。運動については、子供の頃肥満で「運動」という言葉に辛い思い出がある私に運動をさせようと言うのが無茶だ。(f)水分を多く摂取するのは、私はいつも当たり前にやっている。今も薄いコーヒーをマグカップ一杯ガブガブ飲みながらこの記事を書いている。

念のために書くが、上の結果は私個人の結果で、これを読んでくださるあなたにそのまま当てはまるわけではない。それでも、こうやって今までの病気の経過を振り返ると改めて見えてくるものがあり有意義だということは、あなたにお伝えできたと思う。

2.ひとつ、この連載記事を書きながらようやく気づいたことがある。痛風治療を始めてからずっと、私は次の発作が起きないようにと頑張ってきた。それ自体は正しいことだろうが、でも次の発作が起きるわけがなかった。発作から次の発作までに数ヶ月の期間があるというのが、痛風発作の特徴だ。それはこの連載記事を読んでもわかるだろう。私の場合、4回目と5回目の間が6ヶ月あまり。治療を始めなかったら、次回はおよそ6ヶ月後。でも治療を始めたから期間は少し伸びるかもしれない。いずれにせよ、次の発作は今年の暮れから来年始めあたり。それまでは発作はない。

痛風発作のきっかけ調査(4) [痛風日記]

私の最初の痛風発作は2015年2月だった。今回の記事では、その先を調べたい。

2回目の痛風発作の前に、2015年7月に気になる記事がある。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-07-24
「先日、腰の調子が良かったのと酔っぱらった勢いとでPCの前に座ってブログ記事を書いていたら、左足がパンパンに腫れてしまいました。footの部分だけでなくlegもです。私が気にするべきものは腰痛だけでなく、たとえ腰の調子が良い日でも、冬の沖縄旅行で腫れ上がった左足の後遺症を気にしなければならないことが、はっきりわかりました。」
もしも痛風発作ならば、もっと痛みの記述があるはずだ。それに、footだけでなくlegもという腫れ方は痛風発作の腫れとは違う。これは痛風発作とは違う気がする。

2回目の痛風発作は、2015年11月だろう。1回目から9ヶ月あまり経っている。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-11-07
「木曜日に外出して夜遅く帰途につき、その日はなぜか、いつも痛む膝が痛まなかった。暗い夜道で後ろから足音が聞こえ、私は追い越されないように急いだ。変な人に追いかけられているという感じではなく、別に追い越されても悪くなかったが、こうして急げば早く家へ着ける。私は久しぶりにハアハアと息を切らせて家に到着した。運動もいいもんだと思った。翌日の筋肉痛が心配だったが、左足の甲の異変にはまったく気づかなかった。」
このあと記事は長々と続き、少しずつ足の痛みが増してゆく様が書かれている。2回目の痛風発作のきっかけは、(C)激しい無酸素運動だ。これは1回目の痛風発作のきっかけでもあった。つまり私は、(C)激しい無酸素運動で痛風発作が出やすいので注意しなければいけない。

余談だが、私は普段運動を嫌う。滅多に運動しない。だが時として、自分の根性を試すかのように運動することがある。そういう時、私はけっして音を上げない。そして、「なあんだ、私にも根性はあるじゃないか。」と思う。ところが翌日になって、精神でなく肉体のほうが音を上げる。とても残念だ。

3回目の痛風発作は、2016年6月。2回目から7ヶ月経っている。1回目から2回目までが9ヶ月あまりだから、少し短くなった。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12
「朝起きたら、左足の親指付け根の関節が痛くなっていた。きのう一日中PCの前に座っていて血行不良になったのが、以前に腫らせて悪くなっている足の関節に悪影響を及ぼしたらしい。」
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2016-06-14
「前回の記事の翌日、私の左足は腫れ上がって歩けなくなった。」
3回目のきっかけは、(g)血行不良。私はPCの前に座り続けて太ももを圧迫し、季節に関係なく(g)血行不良を起こす。
もうひとつ、わかったことがある。痛風発作は、初日はまだたいしたものでない。ところが2日目は腫れ上がる。

4回目の痛風発作は、2017年元旦。3回目から7ヶ月たらず。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-01-02
これまでに何度も足を腫らしているので、PCの前に座ってはいけないとか、冬は自室の床を冷気が這うから暖房完備にしなければいけないとか、色々考えている。それだけ注意しても足が腫れたことを理不尽だと嘆いている。でもまだ痛風だと気づかない。
4回目の痛風発作のきっかけは、数日後の記事からわかる。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2017-01-06-1
「原因その1、踏み台昇降運動。去年暮れの大掃除の事は以前の記事に書いたが、その時私が重点的にやったのは天井の雑巾がけだった。当然台の上に乗っては拭き、降りては雑巾を洗う。それを午前中いっぱいと午後も少し続ける。私はその間、元から弱っている足腰で「踏み台昇降運動」を続けていた。私の現在の弱点である足に負担をかけた。」
痛風発作というのは、すでに関節に生じている尿酸結晶が何らかの刺激によって剥がれ落ちることで生じる。4回目の痛風発作では、その刺激は踏み台昇降運動だった。
もうひとつのきっかけは、(g)寒さによる血行不良だった。当時の記事には次のように書かれている。
「原因その3、足を冷やした。年末の晩、私は床を冷気が這う自室にいたが、靴下を2枚はき、しかも1枚はモコモコ靴下で、それに加えてレッグウォーマー、温かいズボン、これで完璧だと思っていた。ところが昨日、モコモコ靴下が思ったほど温かくないことがわかった。ちょうど、毛糸のセーターを着た上に何も着ないと空気の層ができずに保温性があまりないように。私は靴下のあまりのモコモコぶりに、これは温かいと思い込んでしまった。足が冷えてきても、こんなモコモコをはいているのだから、これ以上何もできないと考えた。でもそれは間違いだ。」

今回の記事はここまで。次回で、この連載記事「痛風発作のきっかけ調査」は最後となる。

痛風発作のきっかけ調査(3) [痛風日記]

私のブログから、足が痛くなったという記事を抜き出した。膝関節のチクチクする痛みなどは除外し、痛風発作と思われるものだけを残した。

それと、痛風発作が始まるまでには高尿酸血症になってから何年もかかるという情報を元に、最初の痛風発作から遡って高尿酸血症になった原因らしきものも抜き出した。

私はずっと、私の痛風発作の原因は飲酒だと思っていた。ただ、若い頃から飲んでいて、若い頃に比べると酒の量が減ってきたのに、この期に及んで痛風になったのが少し不思議だった。今回、最初の痛風発作から遡ってある記事を見つけた時、合点がいった。(リンク先はお読みにならないで。読んで気持ちのいい話ではないので。)
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04
私が古狸に潰されたのはこの記事の1年前、東日本大震災の少し前だった。1年も経ってようやくこの件の記事を書ける精神状態までたどり着いた。2011年以来、私は心身ともにおかしくなった。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-09-18-1
半年過ぎると、体じゅうに蕁麻疹ができた。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2012-12-15-1
追い打ちをかけるように職場からリストラ通知があった。

2011年から2012年にかけて、私の心身はおかしくなった。この頃は生活不安から酒の量も尋常でなかった。この時以降に高尿酸血症だったのは間違いない。

つまり私にとっての痛風の始まりは、この時期の異常な(D)ストレスと(A)飲酒だと思う。(アルファベットは、前回の痛風記事に書いた痛風の原因の記号。)

それから数年は、腰痛や膝関節のチクチクはあったが痛風に関係する記事はない。最初の痛風発作は2015年になってからだ。これは、痛風発作が始まるまでには高尿酸血症になってから何年もかかるという情報と一致する。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/2015-02-23
この記事では初めての痛風発作を次のように書いている。
「旅先で原因不明の足の腫れに苦しめられ、足の甲の厚さが通常の2倍となり、親指の根元はくびれがなくなって寸胴となりました。靴が入らず空港、飛行機、バス内では靴下で歩くしかなく、家までたどり着けるのかじつに心配でしたが一昨日の夜中に帰宅し、昨日まる一日寝込み、今日は起きられるようになりました。足はまだ腫れています。」
この時の痛風発作のきっかけを、私は前々回の痛風記事にこう書いた。
「冬の寒いさ中に毎日足を折り曲げて書籍のデジタル化をすること1か月以上、その後すぐに沖縄旅行で飛行機のエコノミー座席、着いた翌日からカメラを持って、いつも人より先へ出て良い写真を撮ろうと走り回った。すぐに足が腫れ上がった。」
まず、ただでさえ床を冷気が這う自室で長時間正座するという無茶をし、ひどい(g)血行不良だった。それを終えた翌日に飛行機のエコノミー座席で引き続き(g)血行不良となり、改善する暇を与えなかった。さらに翌日、写真を撮ろうと走り回って(C)激しい無酸素運動をした。あまりにも無茶だった。

冬の痛風要因である(g)血行不良が出てきたが、これは私のその後の痛風発作でも要因となる。いっぽう、夏の痛風要因である(f)暑さによる水分不足は、私には関係しない。なぜなら、私は冬でも飲み物をガブガブ飲み、夏はその2倍の量を飲むからだ。だから私は(f)水分不足のことは考えなくていいが、(g)血行不良のことは冬に限らず注意しなければいけない。(なぜ冬に限らずかは、話が進むとわかる。)

今回の記事は、必要があってとはいえ、読んで暗くなるような話になったことを申し訳なく思っている。次回はこんな話でないので安心してほしい。

次の記事へ続く。

大昔のバチ当たりなタイトルのフジテレビ深夜番組 [  VHSビデオ(補完計画)]

私は痛風治療で酒を断っていた。そして今日は血液検査の日だった。いや、私は血を採ると信じていた。この日のために頑張ってきたんだ。今日その頑張りの結果が出る!ところが問診だけで終わった。採血は2か月後だそうだ。なんて事だ。もう酒を飲むしかない。アルコール依存症の人間の思考回路は、常にこうなる。

今日酒を飲んだら次にいつ飲めるかわからない。なにしろ飲みすぎると他人事でなく、私自身の足がおそろしく腫れ上がるのだ。数か月に1度の飲酒チャンスなのだから、飲みながら何か楽しい事をしなければ。私はVHSビデオテープ録画のPC保存をやっていて、もう99パーセント終わっているが、1パーセント終わっていない。それをやろう。それは単純な作業だった。2つの動画を見比べて終わるはずだった。古い動画と、今回作った動画を見比べて、「やっぱり作り直した動画のほうが綺麗だぜ!なにしろインターレース解除をマニュアル24fpsで頑張ったし、技術的にも知識的にも昔よりはレベルアップしたから。バンザーイ!」と言って終わるはずだった。そして私は見比べた。

古い動画
ponsu_z0.jpg

今回作った動画
ponsu_z1.jpg

なぜだああああああっ!!
今回作った動画はどうしてこんなにノイズが多いんだぁぁぁっ!

これは私のミスや技術不足のせいではない。だってNL-Meansまで入れているんだ。元動画の画質(VHSビデオテープを再生してからケーブルでBDレコーダーに入れて録画するまでの間の何か)に起因するとしか考えられない。出来る事は全部やったんだ。
・・・それって、何をやってももう無理って事なんか?
・・・。

これはもう、酒を飲むしかない!

今日は久しぶりの酒で楽しい記事になるはずが、なんか、荒れた記事になりそうだ。それなら、じつに久しぶりに、エロボケかますか。私は歳とってエロは無縁になったからそういう記事も無くなっていたが、今日は何かやらんと、やってられないよなぁ。何よりも数か月に1度の酒の日なんだぜ。

はるか昔にフジテレビでやっていた深夜放送、いってみよか。VHSビデオテープの録画は見る見ないにかかわらず保存してあるので、こういう時にも役に立つ。

タイトルは、あまりにもバチ当たりなので書きたくない。密教系の仏教で「ほとけ」の世界をあらわす目的で作ったもののはずだ。それを官能小説番組のタイトルにするとは、これは絶対にバチ当たりだ。

そういえば私はずっと前から官能って変な言葉だと思ってきた。ちょっと調べてみよう。コトバンクより:
1 生物の諸器官、特に感覚器官の働き。「官能検査」
2 肉体的快感、特に性的感覚を享受する働き。「官能をくすぐられる」「官能美」

んー、そういうわけか。官能小説と書かずに、わかりやすくエロ小説って書いてくれ。

今回ここで思い出すテレビ番組は、ウィキペディアでは簡潔に紹介されているだけだ:

フジテレビ系列で、1991年4月から1991年9月に深夜時間帯(JOCX-TV2)で放送されていたバラエティ番組。きたろう・松坂季実子の語りと写真のみで構成された「官能小説紹介番組」である。『村は七色』『いとしのファブリオ』に続く三部作最終作品。

タイトル画面は、こんなのだ。
fujitv01.jpg

この記事を書く前に動画を見てみたが、完全にエロ小説朗読、それ以外の何物でもない。私のこの歳では中身の紹介はもういいやという気になった。たぶん、同様の理由からネット上にも情報が少ないのだろう。若い頃にこの番組をドキドキしながら見ていた男性が、今では「いまさら官能小説は不要」という気になっている。私もそんな感じだが、「昔の思い出」という意味では別だ。「いまさら見たいとは思わないが、若い頃にそういうのあったなあ」という懐かしさは大事にしたい。

私の手元にはこの番組の全話はない。初めて見たのが第二回だったし、その後も気に入らない回は録画を消したようだ。まずは第二回のオープニングを出そう。(途中、再生不良部分あり。)中身はただのエロ小説朗読なのに、オープニングは何か真面目っぽい事を言ってる。でもこれは中身が目指す方向とは違う。


いま、「きたろう」氏についてウィキペディアで調べたら、古畑任三郎に1回だけ出ていると書いてあった。正直、今の私にはエロでなくこういう情報のほうがドキドキする。「古畑をもう一度見てみようかな」と思う。古畑なら、数か月に1回の私の飲酒を満足するものにさせてくれるはずだから。堺正章演じる歌舞伎役者が殺してしまったガードマンが、「きたろう」だ。ああ、あの話、良かったなあ。

いかん、今回のエロ小説への興味が失せてきた。せめてもう少し何か出さないと記事にならない。

この番組のとくに始めのほうでは、私が生まれるより前の古き良き昭和のスチル写真を映像として使っていて、それが貴重といえば貴重、でも中身のエロと違うやんかといえないこともない。



記事を書くには、その記事を読むよりもずっと多くの時間が必要だと理解していただけると思う。私は金麦を飲みながら記事を書いていたので、ついに酔っぱらってしまった。初めはもっと画像を出す(ただしエロではない)つもりだったが、頭がクラクラしてもう記事を書けなくなってしまった。すまない、この記事はここまでとさせてほしい。